食っちゃ寝る

野田信行牧師

預言者エリヤは列王紀上17章で、主の言葉のとおりにケリテ川のほとりに住み、からすに養われました。その後には、ザレパテのやもめの男の子を死から生き返らせました。18章では、バアルの預言者450人と対決し勝利しました。しかし19章で、主に忠実に仕えたエリヤに待っていたのは、イゼベルの逆恨みによる殺害予告です。

心身共に疲れ切ったエリヤは逃げて、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。」と訴えます。私たちも同じ様な経験をすることがあるかもしれません。主にある忠実な働きが、いつも直ぐに報われるとは限りません。むしろ、逆恨みを買うこともあります。

現実的にはバアルの預言者に勝利したエリヤを殺すことなど、イゼベルに出来るはずがありません。しかしエリヤは疲れ切っていました。今エリヤに必要な事は、休んで回復することでした。エリヤは、れだまの木の下に伏して眠りました。しかし眠るだけでは回復には十分ではありません。天の使が優しくエリヤにさわりました。そしてエリヤの身体のために、焼け石の上で焼いたパン1個と、1びんの水を与えました。
エリヤは食べて、飲んでまた寝ました。日本では「食っちゃ寝る」というと、だらけた様なイメージがあります。しかし本当にその様な休みが必要な時があります。

主の使は再びエリヤにさわって言いました。「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。

私たちの人生は百メートル走ではありません。百メートル走であれば、息も止めて我慢して走り切ることも出来るかも知れません。しかし私たちの人生は超長距離のウルトラ・マラソンの様なものかも知れません。ペース配分、栄養・水分補給がとても大切で、それがきちんと出来ないと途中で棄権となるかも知れません。しっかりと、寝て、食べて、飲むことも大切な仕事です。 

 十戒の第4戒に安息日があり、「七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない」とあるのは大切な教えです。

エリヤは起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づきました。そして四十日四十夜行って、神の山ホレブに着きました。エリヤは休みを取らなければ、神の山ホレブに行くことは出来なかったでしょう。私たちも「食っちゃ寝る」ことが必要な時もあります。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですが。

2018年6月号