神の慈愛と峻厳 ローマ 11:13~24

野田 信行牧師

 パウロは「もし根がきよければ、その枝もきよい」と言います。ここで根は神に選ばれて聖別された族長であるアブラハム、イサク、ヤコブを指し、枝は根である族長から出たイスラエルですから聖別されています。そのことを発展させて、「ある枝(イスラエル)が切り去られて、野生のオリブであるあなた(異邦人)がそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分(族長たちに約束された祝福)にあずかっている」と言います。つまり異邦人は接ぎ木されたものですから、元木の枝であるイスラエルに対して誇ることは出来ません。救いに与っている異邦人に必要なことは、「高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れること」です。

 神の人間に対する強い思いは慈愛(慈しみ)と峻厳(厳しさ)で現わされます。私たちも愛する子ども等と真剣に向き合う時に慈愛と峻厳が必要です。子どもに対してはまず慈愛が必要ですが、子どもが間違った方向に向かう時には峻厳が必要な時もあります。それは子どもがより良い方向に進むために必要なことです。しかし子どもが自分の失敗に気付くならば、再び慈愛を向けるのは当然のことです。

 神は初めにイスラエルを選ばれましたが、イスラエルは高ぶり、不信仰に陥ったために神の峻厳が向けられています。そして異邦人は信仰によって神の慈愛が向けられています。しかしこれは最終の状態ではなく、異邦人がイスラエルの様に高ぶり、不信仰に陥れば切り取られますし、イスラエルが不信仰を続けなければ慈愛を向けられます。

 神がこの様なことをされるのは、私たち人間をねたむほどに強く愛しておられるからです。そして私たちが信仰的に成長して、イエス・キリストに似た者となることを強く望んでおられるからです。そのためにお独り子であるイエス・キリストを十字架に掛けられて罪の代価を支払ってくださいました。そして一人でも多くの人を救おうと望んでおられます。

 今年は皆さんにとってどの様な年になるでしょうか。例えどんなことがあったとしても、私たちが神の慈愛にとどまっているなら、神の慈愛はあなたに向けられると約束してくださいます。そのために聖霊を送ってくださり私たちを助けてくださいます。そして一時的には例え峻厳を向けられる様なことがあったとしても、神は神の民を永久に退けることはされません。今年一年も神に信頼して安心して歩ませて頂きましょう。

2019年1月号