スケープゴート

野田 栄美牧師夫人

 人には、逃れたくても逃れることのできないものがあります。その一つは、罪責感です。嘘をついてしまった、物を盗んでしまったなど悪かったと思うことがあると、人はそれを忘れることができません。人は生まれながらに良心を持っており、罪を犯したと気付くと同時に、良心は心に罪責感を生み出します。

 その罪責感から解放されるには、犯した罪を認めて、謝罪し、償いをする必要があります。けれども、それを簡単にできないのが人間です。罪責感は、そのままにしておくと、その人生を動かす程のマイナスの原動力になっていきます。そのため、その負の人生に引きずり込まれないように、人はその罪責を人に転嫁することがあります。

 心理学で言われる「スケープゴート」をご存知でしょうか。問題の解消や収拾を図るため、問題を起こしている人ではなく、他の人を悪者「スケープゴート」にすることです。学校でのいじめ、子どもへの虐待、派閥づくり、村八分、人の悪口を言うことなど、全て同じ心理から生み出されていると感じます。

 私の父は、何か問題が起こった時、トラブルを更に大きくしてしまうようなところがありました。問題をきっかけに、怒り出すことがあるので、まず先にそちらへの対処もしなければならなくなるからです。問題そのものを解決するだけでは済まなくなって、家族は振り回されていると感じることがありました。

 でも、父が天に召された時に、残された私たち家族は、もう父のせいにはできないということに気が付きました。自分たちの弱さや失敗を、父によってごまかせなくなりました。ある意味で、わたしたち家族は、自分たちの弱さや失敗を見なくて良いように、父に守られていたのだと思います。父は家庭内の「スケープゴート」であったと思いました。

 この「スケープゴート」は、聖書が出典の言葉です。レビ記16章に、罪の赦しを受けるための祭儀の中で、アザゼルのためのやぎが出てきます。これが「スケープゴート」です。このやぎは22節で、イスラエルの民の全ての罪をその身に背負わされて、荒野へ送られます。やぎは、無実の罪を負って悪者にされ、追い出されました。

 主イエスの降誕を待つアドベントは、教会暦において断食と悔い改めの時です。主イエスの誕生を楽しみに待つイメージがあったかもしれません。けれども、主イエスは、全世界の「スケープゴート」として、この世から追い出されるために、この世に誕生されました。

 私たちが追いきれない罪責を代わりに背負って、人が住む場所ではなく、家畜が住む場所に誕生されました。その誕生の時から、私たちの身代わりになられた主イエスを、もう一度思い起こし、心からの悔い改めと感謝を持って、クリスマスを待ち望みましょう。

2019年12月号