感謝と希望

野田栄美

多くのクリスチャンにとって寂しいことの1つに、大切な人と一緒に礼拝することができないということがあります。夫、妻、子ども、親、友だちと一緒に教会に行きたい。これは、相手が大切な人であればある程、切実な願いです。特に日本では、女性が多い教会が良く見られます。夫と一緒に礼拝に出席したいという願いを今までよく耳にしました。

東京聖書学院で主人と同級生だったある先生の話です。先生が結婚される前、私は先生の奥様と同じ教会に集っていました。奥様はとてもきれいな方ですので、その男性のお友だちが初めて教会に来られると聞いた時、みな興味津々でした。

礼拝出席者が100名を超える教会でしたので、礼拝後、挨拶するのは難しいとは思いましたが、出口に目を移すと丁度出て来られるところでした。その姿を見た時に、これは声を掛けない方がいいなと思いました。 学院に入ってから、先生に直接、あの時は声を掛けちゃだめだと思ったよというと、絶対に声を掛けるなオーラを全身で出していたといって笑っていました。結婚前の奥様のために仕方なく教会に来ただけだった訳です。

そんな方が、後に牧師になるために学院に入学すると聞いた時は、心底驚きました。奥様がいうには、教会に嫌々来ている夫が喜んで教会に出席するようにと、祈っていたら、その祈りが効き過ぎたというので、皆で大笑いしました。

神の御心は必ず成就します。そして、神の御心に適った私たちの願いは、もう既に完了しているものと、まだ完了していないものの2つだけです。そして、時が来れば必ず全てが完了します。バプテスマのヨハネの母、ハンナはこういいました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。ルカ一章45節

皆さんは、神の御言は必ず実現すると信じているでしょうか。現実を見ると、信じたいけど不可能に思えますというのが、本音かもしれません。私たちから見ると、本当に不可能なことばかりです。でも、大丈夫。あなたの大切な人を神は愛しておられます。その時は、いつかは分かりません。でも、必ず神の約束は完了します。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」。フィリピ二章13節 

子どもの頃、遠足や運動会が楽しみだったように、その日を楽しみにしていましょう。教会には、2つのことがあります。感謝と希望です。大切な人が共に神を礼拝するようになったことへの感謝と、共に神を礼拝するようになる希望を持つことです。あなたはどちらを持っていますか。両方でしょうか。実は、望んでいることを待っている時が、一番わくわくするものです。神は、いつも私たちの想像を超えた答えをくださるから尚更です。

2020年10月号