「一緒にいる幸せ」

                                                                野田 栄美

 猫が好きな方はたくさんいらっしゃると思いますが、子猫の兄弟を見たことがあるでしょうか。ずっとじゃれています。相手のしっぽを触ろうとしたり、顔にパンチしたり、追っかけ合ったり。考えてみると、人間の子どもも同じです。自分と同年齢の子どもを見つけると、知らない子同士でも遊び始めます。言葉が通じない国籍の違う子どもたちでも、いつの間にか遊び始めるのを見たことがあります。

 「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)と、神は人間を創られた時におっしゃいました。人は独りで生きるように創られたのではない、一緒に生きるために創られていると聖書は言います。

 先日、子ども礼拝のDayキャンプをhi.b.aキャンプ場で行いました。感染対策をしつつですが、2年弱ぶりにお友だちと外で思いっきり遊ぶ時を過ごしました。この2年間、子ども礼拝では接触を避けるため、走り回って遊んだり、手をつないで踊ったり、美味しいものを一緒に食べたりすることができませんでした。じゃれ合うことで、人のぬくもりを感じる大切な機会が置き去りにされてしまいました。お友だちの心は、大人が思う以上に影響を受けていたでしょう。これは子どもが子どもでいられないような状況です。子どもは人のぬくもりの中で育っていくからです。

 ですから、お友だちはDayキャンプをそれはそれは楽しみにしていました。キャンプの1週間前に、ある女の子が言いました。家でお母さんの言うことを聞かないと、「Dayキャンプに行けなくなるよ」と言われるので良い子にしていたと。どうしても行きたいと思っていたのですね。涙ぐましい努力です。

 マタイ22:37、39には、主イエスが教えてくださった大切な教えが書いてあります。1番大切なことが「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、そして、2番目に大切なことが「隣人を自分のように愛しなさい」です。神から人を愛する心をいただいて、人を大切にすること、それがクリスチャンの生き方です。

 聖書は私たちを神の子どもだと言っています。神の子どもは、神の子どもと一緒にいることが大好きです。一緒に神を見上げます。一緒に愛の心をいただきます。一緒に大切にし合います。子猫の兄弟が一緒にいることを楽しむように、神の子どもも一緒に教会で礼拝します。そして、育っていきます。一緒に居るから成長します。人としてあるべき姿に戻り、創りかえていただけるところ、それが教会です。