「約束の地の占領」

申命記 1:1~8 野田信行

申命記は神がモーセを通して語った言葉で、モーセはこの時に120歳で約1か月後に天に召される前に語った最後の言葉です。ホレブ(シナイ山)から約束の地に入るカデシュ・バルネアは11日の距離ですが、イスラエルは40年を要しました。

私たちが人生を考える時等に聖書は、「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」(創世記16:8)、そして、「どこにいるのか」(創世記3:9)と問います。モーセは1:6から3章で、どこから来てについて、荒れ野での40年を振り返ります。

神は40年前に、「あなたがたは長くこの地にとどまっている」と告げられ、確かにホレブに約1年とどまっていました。その間には律法の授受等もありました。また神の臨在を示す雲が昇らなかったのでとどまっていたと思われます(民数記10:11)。

申命記は民数記等にある同じ出来事を違う視点から見ます。人には変化を求めずに今いるところに安住をし易い怠惰な部分があり、神の約束の地があるにも関わらずに、この辺で良いかと妥協してしまいます。しかし神は、向きを変え、出発しなさい、そして約束の地にまで行きなさいと命じられます。目指すのは、神が命じられる乳と蜜の流れる約束の地です。

神は、「さあ、あなたがたにこの地を与える」と言われ、「与える」という言葉は完了形で、「与えた」の意味で、神の側では既に約束の地を与えています。神は、「あなたがたは行って、主が与えると誓われた地を占領しなさい」と命じられます。神は既に与えていますが、実際に受け取るには自分で行って、占領する必要があります。

現代を生きる者にとって神が完全に支配され、人が神の支配に従うところが、この世における約束の地である神の国です。荒れ野のこの世ですが、荒れ野の中にもオアシスがあるように、この世にも神の支配される神の国があります。主イエスは「神の国はあなたがたの中にある」(ルカ17:21)と言われ、「あなたがたの中」とは一人一人の中とも、人と人との中とも考えられます。

神は私たち自身を約束の地として罪を追い出して、聖霊によって占領しなさい、また人と人との関係においても罪である自己中心的な思いを追い出して、聖霊による御心によって占領しなさいと命じられます。私たちが約束の地を占領するために主イエスは十字架による罪の赦しと聖霊の強い武器を与えてくださいました。この世に流されてとどまるのではなく、今年も、聖霊の導きに従って、向きを変え、出発して、神が約束された地の占領を目指して歩んで行きましょう。