人生の意味


野田 栄美

 私の人生に意味があったなあと、思えることはあるでしょうか。小さいことから大きなことまで、人によって様々なことが思い浮かぶかもしれません。
 ルカによる福音書二章には、アンナという女性が出てきます。彼女の人生は、恵まれたとは言い難いものでした。この頃は、12歳になると大人と認められ、結婚したそうです。アンナも若くして結婚したでしょう。けれども、その幸せは続かず、7年すると夫が亡くなり、彼女はやもめになってしまいました。女性は働くことのできない時代です。やもめはとても貧しい、辛い人生を送る時代でした。
 そのアンナが84歳になったときに神殿で、生まれて間もない幼子の主イエスに会いました。彼女の人生が意味を持った瞬間でした。旧約聖書に預言されているメシア、正にその救い主を彼女は目にして、エルサレムにいる、救い主を待ち望む人々に主イエスにお会いしたと伝えたと聖書は語っています。アンナは救い主の誕生を告げる使者になりました。
 先日、義兄が召されました。夫や義母から聞いた義兄の人生は、悩みの多いものだったようです。親子の葛藤や職に恵まれなかったことなどを思ってでしょうか、いつも義母は、兄の事を心配していました。
 私から見ると、義兄はいつも温かく社交的で、実家に行くたびに甥っ子である息子たちを連れ出しては好きな物を買ってくれたり、帰りには色々な物を持たせてくれる人でした。
 そんな義兄が末期の肝臓癌であると聞いた時、僅かな日数であっても神の恵みを味わって貰い、報われてほしいと思いました。クリスチャンでない方でも、祈られることを喜んでくださることを何度も体験していましたので、夫にお祈りをしてあげてと何度も言っては、神にその願いを祈っていました。
 考えてみると改まって一緒に祈ることは夫にはハードルが高かったに違いありませんが、最初に祈った時に神を信じたと聞いた時は、予想を超えたことだったので驚いてしまいました。そして、コロナ感染が広がる中で会う機会がない中、転院の時に介護タクシーの中で義兄が洗礼を授かることができたのは、神からの恵みとしか言いようがありません。
 義兄の人生は意味のあるものでした。アンナのように救い主に出会ったからです。そして、その幸せは、葬儀を通して家族や親族にも届けられました。
「このしばらくの軽い苦難は、私たちの内に働いて、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」コリントの信徒への手紙二 4章17節

2021年6月号