目を留めておられる
野田 栄美
最近、目に留まった聖句があります。主イエスのことを書いたマタイ9:36の言葉です。「また、群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」
主イエスは、落ち着いて、静かに愛を持って人々を受け入れておられます。ただ、その時々にどんな感情を持たれていたのかは、語る言葉が深いためでしょうか、人間の私たちには想像しにくいと感じることもあります。
けれども、この聖句を読んだ時に、ダイレクトにとても温かい感情を感じました。いつでも感じている静かな愛を改めて、はっきりと見た気がしました。主イエスは、どんな時も人間を深く憐れんでくださいます。
クリスマスを前にして、もう一度主イエスの誕生のできごとを読み直してみてください。そこに生きている人たちは、どの人も特別に恵まれた環境の中に居る人たちではありません。子どもに恵まれない夫婦、貧しい大工、社会的に恵まれない立場の若い女性や羊飼い、老人や年老いた寡婦です。そのどの人たちも、パーティーの真ん中にいる人たちではありません。いつも何かを背負いながら、日々、忍耐して生きている人たちです。
クリスマスは神の奇跡が起こった時です。神の御子が降誕されたことを心に留めて、私たちはアドベントやクリスマスを過ごします。この奇跡は人知を超えた神の業ですから、普段の生活からかけ離れています。けれども、このできごとを味わう方法があります。それは、そこに生きている人たちに起きた変化を見ることです。
ルカ1:46~55には、マリアの祈りが書かれています。彼女は10代前半の社会的立場のない女性でしたが、神によって子どもを授かったことを知りました。そして、エリサベトと時を過ごした後に、「私の霊は…神を喜びたたえます」と、幸せに溢れた心を言葉にしました。「この卑しい仕え女に目を留めてくださったからです。」神が、私に目を留めてくださった。それが分かったから喜びに溢れました。これは、そこに生きている他の人たちにも見られる喜びです。
今、私は弱り果てたと思っている方はおられますか。打ちひしがれておられる方はおられますか。望みが叶わないまま時が過ぎてしまった人、貧しい人、社会的に忘れられているように感じる人、年老いた悲しみを感じる人、そのあなたに、神は目を留めてくださっています。あなたのことを忘れていないよと、あなたに声を掛けておられます。クリスマスは、神があなたに目を留めておられることを知る時です。その喜びを教会で受け取ってみませんか。