「茂原キリスト教会創立70周年」 

                  野田信行

「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」(創世記16章8節)

今年度、茂原キリスト教会は創立70周年を迎え、主の守りの中で、皆さんの祈りと奉仕に支えられ、様々な事業(礼拝と祝会、記念誌と動画の作成等)が祝福の内に終えられ、70周年事業の全体を通して、教会のこれまでの歩みに感謝をしました。そして私たちは今、どのような新たなあしたを迎えようとしているのでしょうか。

今、私たちは申命記を通して御言葉を聴かせていただいています。モーセは主の命令によって、イスラエルが過去に大きな罪を犯した、カデシュ・バルネア事件や金の子牛事件を何度も繰り返して語ります。カデシュ・バルネア事件は、神が与えると約束されたカナンの地に、各部族の代表者12人を偵察に遣わしましたが、ヨシュアとカレブを除く10人が先住民の巨人を恐れ、全会衆がその声に従って主に反抗した事件です(民数記13章)。

全会衆は10人だけに全ての罪を被せて自分たちの責任逃れは出来ません。主は10人だけではなく、10人に従って主の命令に反抗した20歳以上の者全員が荒れ野で滅びるまで彷徨わせ、約束の地には入れないこととされました。とても厳しい結果です。

現代においては、私たちの贖いとして主イエスが十字架に付いてくださいましたので、たとえ私たちがイスラエルと同じような罪を犯しても同じような裁きはないと思われます。しかしそれには一つだけ条件があります。それは心から悔い改めることです。バプテスマのヨハネと主イエスは全く同じ言葉で宣教を始められました。それは「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2、4:17)です。天の国は近づきましたが、それは心から悔い改める者だけのものです。 

聖書を読み、御言葉を知るということは御言葉に従って実際に行うことです。茂原キリスト教会の70年の歴史の中に、カデシュ・バルネア事件や金の子牛事件のようなことは無かったのでしょうか。神の民イスラエルでさえ何度かありました。問題は何か出来事が有ったか無かったかではありません。悔い改めたかどうかです。

女奴隷ハガルのように悔い改め、方向転換をする者に、祝福された新たなあしたは約束されています。そのために主イエスは十字架に付かれました。29日の拡大会議では過去を振り返り、必要に応じて悔い改めの時も持ちたいと思いますので、教会員はぜひ出席をお願いいたします。ただ議論が自分にはあまり向いていないと思われる方は無理をする必要はありませんので、各自で祈り、ご判断をお願いいたします。