「一緒にいる幸せ」

  野田 栄美

 最近、一緒にいられることは幸せだと気がつきました。2月末に息子が引っ越したのですが、先日、足りない家具があるというので夫と共に車で持って行きました。片道3時間程かかるので、あちらに着いたら、慌ただしくやるべき事をこなします。午後は服が足りないと言うので、同居しているもう一人の息子も一緒に4人で買い物に行きました。

 色々とやるべきことを済ますことができたので、家に着いた時はほっとしましたが、ふと、4人で買い物に行けたのは幸せだったなあと思いました。

夫が牧師であると、普段子どもたちと親の休日は重なりません。更に、息子たちは家を離れましたので、会う機会自体が少なくなりました。そう考えると一緒にいることができたのは神さまからのプレゼントだったと思いました。

それまで私は何かを成し遂げることが幸せなことだと感じていたように思います。子どもが何かをできるようになること、友だちができること、進学できること、良い点を取れたことを喜んでいました。そして、それは途切れることなく何かを追い求め、それを完成させる終わりのない歩みでした。

私の父も試験で良い点を取っても、「次はその上を目指せ」と励ます人でした。いつになったら褒めてもらえる終わりが来るのかとどこかで思っていました。勿論、愛情は受け取りましたが、終わったと心が解放される時があったら良かったと感じたことがありました。

今年度の聖句はヨハネ14:16です。「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」私たちから離れずに一緒にいてくださる弁護者とは聖霊です。聖霊が永遠に共にいてくださることはなんて幸せなことでしょうか。

コロナの感染が広がり、感染対策のために一緒にいることを制限された時が終わりに近づいています。聖書の一番初めにある創世記には、「人が独りでいるのは良くない。」という言葉があります。最初の人アダムに向けて、神がこうおっしゃって、助け手のエバを続けて創造されました。私たちは独りでいるためではなく、一緒にいるように創られました。

教会はその建物ではなく、人の集まりのことを差します。そして、教会は、主イエスが父なる神に願って遣わしてくださった聖霊によって集められた人の集まりです。

あなたは独りではありません。一緒にいてくださる聖霊がおられます。そして、聖霊によって集められた人々がいます。一緒にいることのできる幸せを教会で味わわせていただきましょう。