愛の眼鏡

  野田 栄美

今年の夏も厳しい暑さが続きました。寒さよりも暑さが苦手な私にとっては、先ず気持ちが負けてしまわないようにと、自分を鼓舞する必要がります。今年は田んぼの稲の生長を見ると励まされました。田植えが終わって、一ヶ月程経つと稲が風になびく姿が美しくなり、7月に入るといつの間にか穂が見え始め、その後あっという間に穂が垂れてきます。暑さに耐えながらその穂を太らせていく姿はたくましく、従順です。

考えてみると、暑い国の人は陽気です。そこには軽快な音楽と笑顔があります。一方で、寒い国では厳しい顔をした人たちが言葉少なく歩いて行く情景が浮かびます。あまり暑いと何も考える気力もなくなり、陽気でいるしかない。これは、気温が私たちを現実逃避の世界に連れて行ってくれていると言えるのかもしれません。

この情報の溢れる世界の中で考えすぎてしまう私たちに、暑さが強制的に休暇を与えてくれている、そう思ったら暑さはありがたいものだなあと考え直しました。

確かにものは考えようで、同じものごとも善くも悪くも受け取ることもできます。「あばたもえくぼ」という言葉がありますが、恋をすると相手の全てが素敵に見えてしまうのはなぜでしょうか。そこに愛があるからです。現実はどうかということは問題ではなくなります。

聖書も同じことを言っています。ペトロの手紙4:8には「何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」とあります。愛は罪をも覆ってしまうのですから、それは強大な力を持っています。今まで犯してきた行いも思いも、心の奥底に隠された罪も含めて、全て覆ってしまうと聖書は語ります。

けれども、逆に愛がなければ、「えくぼもあばた」になってしまうものです。欠点は勿論、長所も全て見苦しいものになります。愛がないところは恐ろしい世界だと思いませんか。どんなものも批判の的になり、責められ、追い詰められ、償い続けなければならない人生になるからです。

愛によって意味を持つのか、愛のないところで見定められるのか、全てを逆転させてしまう鍵は「愛」です。

 穂を垂れた田んぼの稲の姿から励ましを、暑い夏には心の解放を与えるのは神の愛です。この愛が心にあると、起こっていることは同じでも、あなたは幸せを見つけることができます。神の愛という眼鏡で世界を見てみましょう。そこには違った景色が見えてきます。