福音による報酬

コリント人への第一の手紙 第九章七~十四節 
野田信行牧師

「主は、福音を宣べ伝える者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである」。
(コリント人への第一の手紙第九章十四節)

パウロは、働き人の報酬について実社会の例を用いて、①軍隊に加わる兵士は自費負担ではない、②ぶどう畑を作る農夫はその実を食べる、③羊を飼う牧者はその乳を飲むことを挙げます。福音を宣べ伝える伝道者は聖書で、兵士、農夫、牧者に譬えられますので、三つの例は伝道者はその働きから報酬を得る権利があることを考えるのに分かり易いものです。

次に律法には、「穀物をこな(打穀)している牛に、くつこ(口籠)をかけてはならない」(申命記二五:四)と、働いている牛にも穀物をつまみ食いする権利はあるとあります。本聖句の前後には牛のことは一切書かれておらず、これは働くものには食べる権利があることを示す譬えです。

しかしパウロたちは、キリストの福音の妨げにならないようにと、報酬を受ける権利を使わないで忍んでいます。コリント教会には教会内に争いの問題(一~四章)や、性的不品行の問題(五、六章)等がある肉の人(三:三)で、堅い食物を食べる力がありません。その様なコリント教会でパウロが報酬にあずかろうとすると、①パウロの伝道は報酬目的と誤解される、②報酬目的のにせ伝道者と同類と思われ、その教えもにせものと誤解される、③コリント教会は財政的にも弱く(一:二六)報酬を出せる状態ではなかった、等が考えられます。逆にピリピ教会は信仰的にも成長してパウロの伝道を経済的にも支えていました。

またエルサレム神殿の宮と祭壇に仕えている人たちもその捧げものにあずかっていました。「それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められた」(十四節)のです。主の定めはマタイ十:十等です。パウロは自身は報酬の権利にあずかりませんが、他の伝道者のために言っていますが、それは主の定めであり、それを実行しないと健全な教会が建てられず、福音の伝道になりません。またそれは福音にはそれだけの価値があることを伝えるためでもあります。

十四節は、直接は伝道者は福音によって生活の糧を得るべきという意味ですが、少し違う意味に取ることも出来ます。それは福音を宣べ伝える者たちとはクリスチャン全員であり、福音によって生活するとは、福音に従って生活することとも取れます。その様に考えますと、それはどんな働き、専業主婦でも、福音を宣べ伝えるクリスチャンは福音によって生活すべきです。「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」(ガラテヤ六:七)のです。

パウロは霊のものをピリピ教会にまいたので、霊のものとして、本当に良い肉のものを受けました。わたしたちも福音による生活によって、霊のものをまいて、霊のものを刈り取りましょう。霊のものをまくには聖霊の満たし無くしては出来ません。聖霊に満たされ、霊のものをまいて、霊のもので茂原教会を満たさせて頂きましょう。