主の仕事をする者

2021年4月18日
コリントの信徒への手紙一16章5~12節

主の御名を賛美します。私は牧師になってまだ9年目で、まだまだ新人だと思っています。しかし教団では4年前から教育局で新しく牧師になる先生の研修をして送り出したり、正教師になる先生のための研修を行う側のスタッフになって、良い経験をさせていただいています。

千葉教区ではいつの間にか、自分より後に千葉教区に来られた先生の方が多くなって、お世話をして頂く側から、しなければならない側へと変わっています。聖書に書かれているパウロのテモテに対する思いが少しずつ分かって来るのかと思って楽しみにしています。

1、コリント滞在計画

先週の3節で、パウロがコリントに着いたら、募金をエルサレムに届けることにしました。そこで、パウロがコリントへ行く旅行の計画を知らせる必要があります。パウロは、マケドニア、今のギリシャ経由で、コリントへ行きます。まずパウロは今、どこにいるのでしょうか。8節からエフェソにいると考えられます。

巻末付録の聖書地図12「パウロの第三次宣教旅行とローマへの旅」。すると疑問に思われるかも知れません。地図11「パウロの第一次および第二次宣教旅行」の前回の逆ルートで、エフェソからコリントに行けば直行で早いです。

地中海は冬は海が荒れるので航海が出来ませんが、今、行こうとしているのは五旬祭、ペンテコステの後です。ペンテコステは今年は5月23日で、大体5月の下旬から6月の上旬ですので全く問題はありません。パウロはなぜマケドニア経由にするのでしょうか。目的は大きく4つ考えられます。

一つ目は、マケドニアは通過とは書いてありますが、マケドニアにはフィリピ、テサロニケ等の教会がありますので、パウロは気になっていたはずです。少しでも様子を見て、必要なら指導をするためです。そして恐らくエルサレムの聖なる者たちのための募金の話もして集めたいのでしょう。

二つ目はマケドニア経由にすることによって遠回りになるので、コリント教会への到着迄に時間を掛けるためです。それはその分、コリント教会でのエルサレムの聖なる者たちのための募金を集める期間が長くなりますので、多く集められることになります。

また先週もお話しましたが、この手紙にはこれまで、教会内の争い、性的不品行、礼拝、霊の賜物、復活について等、色々な問題が書かれていました。これ程の多くの問題を抱えた教会が、健全な信仰に立ち返るのは、それ程に簡単なことではありません。

パウロが直ぐにコリント教会に行ったとしたら、かなり厳しいことを言う必要があって、お互いに気まずい思いをすることになります。パウロはその様にはならない様に、コリント教会がまずこの手紙を読んで考えて、悔い改める時間を与えるためだと思われます。

三つ目は、「たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれ」ないからです。現代でも問題を抱える教会は繰り返し問題を起こすことがあります。教会は人の集まりですが、人はそれ程、簡単には変わりません。その人の集まりである教会の体質は、それ程には簡単に変わるものではありません。

パウロはこの手紙によってコリント教会が例え悔い改めたとしても、福音を正しく理解するためには、腰を据えて滞在して、じっくりと指導する必要を感じています。そして場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。四つ目は、滞在することになれば、次にどこへ行くにせよ、あなたがたに送り出してもらえるでしょう。この当時、旅に出るのはそれ程には簡単なことではありません。身に着ける物、食べ物、金銭等、色々な準備が必要です。

パウロはそれらを自分の便利のためにコリント教会に用意して欲しいと言っているのではありません。多くの問題を抱えているコリント教会ですが、パウロにとってコリント教会は前回の第二次宣教旅行で自分で開拓して生み出した教会で、子どものように可愛いものです。

その可愛い子どもが健全な信仰に立ち返って、自分は送り出されたいと願います。主の仕事をするパウロをその様に送り出すことが、コリント教会の祝福となることを知っての上での願いです。

5~8節は中心構造です。コリントには暫く滞在したいので、旅のついでに会うようなことはしたくありません。しかしそれも全て主の御心次第ですので、主が許してくださればと言います。普通の人がコリント教会に手紙を書いたとしたら、「あなたが許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと望んでいます」と書きそうです。

「主が許してくだされば、しばらくあなたの家に滞在したいと望んでいます」と言われたら普通は驚いてしまいます。しかし全てのことは主の許しの中で行われることです。

2、エフェソ滞在

パウロが五旬祭まではエフェソに滞在するつもりであるのは、働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者も大勢いるからです。パウロのエフェソでの活動は使徒言行録19章に書かれています。19:8~10を読みます。

パウロはユダヤ人にとって大切な祭りで、人の集まる五旬祭迄はエフェソでの伝道のチャンスと考えたのでしょう。しかし同時に反対者もいました。19:23~26の騒動がありました。エフェソでは女神であるアルテミスの神殿の銀細工模型が売られていました。そしてパウロが「手で造ったものなど神ではない」と言ったと銀細工師に訴えられて暴動になりました。

普通なら反対者が大勢いる場所からはさっさと、いなくなりたいものです。しかしパウロは大きな扉が開かれているだけでなく、反対者も大勢いるから、五旬祭まではエフェソに滞在するつもりだと言います。そして20:1で、騒動が収まった後、マケドニア州へと出発しました。

大きな扉が開かれているのと、反対者が大勢いるのは、単なる偶然ではありません。大きな扉が開かれているところには、困難が付き物なのかも知れません。小説家の林芙美子さんが、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という詩を書きましたが、本当にそうだなと思います。

人生は困難が多く、困難だけに、こんなんじゃ、やってられません、と感じることもあるかも知れません。しかし聖書はそれは産みの苦しみであると言います。10:13は、「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れ道をも備えてくださいます」と言います。私たちは大きく開かれた扉だけでなく、困難な道をも主と共に歩んで行って、主に似た者と変えられて行きます。

3、テモテ

その様な道を歩むパウロと同じ働き人の一人が、パウロの信仰の子であるテモテです。テモテは4:17で、「そちら、コリントに遣わした」と書かれています。そしてテモテが、「コリントに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください」とお願いします。パウロはなぜテモテを遣わしたのでしょうか。

コリント教会の抱える問題はとても根深い物があります。それ程、簡単に解決出来ることではありません。パウロはまずこの手紙を送って第一の矢とします。手紙は船便で行くので早く着きます。さらに第二の矢としてテモテを遣わしました。テモテは使徒言行録19:22にある様にマケドニア経由です。そして第三の矢として最後に自分が行くつもりです。パウロは一人で全てをするのではなくて、チームでの伝道を考えています。

「テモテが心配なく過ごせるように」や、「誰も彼を軽んじてはいけません」とパウロは言いますが、どういうことを心配しているのでしょうか。この手紙からは少なくとも8年以上は経っていると思われる、Ⅰテモテ4:12でも、パウロは「あなたは、年が若いからといって、誰からも軽んじられてはなりません」と言っていますので、一つ目はテモテの若さのためです。

テモテは前回のパウロの第二次宣教旅行でコリントへ一緒に行っていますので、コリント教会はテモテのことを知っています。その時のコリント教会のテモテに対する態度でパウロが気になることもあったのだと思います。

二つ目は、この後にあるように、コリント教会はコリント教会に人気のあるアポロが来ることを期待していましたので、コリント教会には、アポロと比べて、何だ、来るのはテモテかという気持ちもあったことでしょう。

三つ目に、パウロとテモテの師弟関係をコリント教会は知っていますので、コリント教会はパウロに対する不満をテモテにぶつける可能性も考えられました。そこでパウロは、「テモテも私と同じように、主の仕事をしているのです」と説明します。

4、主の仕事をする者

先週はマタイ10:42を引用しましたが、今日はその前のマタイ10:40で主イエスは、「私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである」と言われました。テモテを快く受け入れる者はテモテを遣わされた神を快く受け入れ、またテモテを直接的には遣わしたパウロを快く受け入れることです。

主の仕事をするテモテを尊重して、受け入れて世話をすることがコリント教会の信仰の成長になり、祝福に繋がります。私たちの茂原教会でも、子ども礼拝では幅広い年齢層の方が奉仕されていて、教会の中では比較的には若い方の方も奉仕されています。

しかし皆さん、主に遣わされて主の仕事をされています。私も毎週、子ども礼拝に少しでも出席しようと心掛けて、共に礼拝するのを楽しみにしています。主によって遣わされた方々が語る神の言葉を聴かせて頂くのも楽しみです。

子ども礼拝の働きに限らずに、色々な主の仕事をしている方々が教会には大勢おられます。どんなに小さなことでも教会に仕えて、主の仕事をしてくださる方々に本当に敬意を払いたいと思います。

そしてテモテを平和のうちに、平和というのは神が共におられることですので、神が共におられるかたちで、送り出して、私のところに帰してください、と言います。私のところに帰してください、ということは、コリントでのことは全てテモテからきちんと聴きますよという警告のような意味も含まれているのかも知れません。

5、アポロ

「兄弟アポロについては」という書き方からすると、これはコリント教会からパウロへの、アポロについての問い合わせに対する回答です。アポロは雄弁で、1:12には、アポロ派のようなものが、コリント教会内にあるほどに人気があったようです。

そこで、なぜアポロはコリント教会に来ないのかという問い合わせだったと思われます。その背後にはパウロが人気のあるアポロを妬んで、行かせないようにしているのではないかという憶測もあったのかも知れません。

そこでその様な憶測を打ち消すように、パウロは、「兄弟アポロについては」と兄弟アポロと呼んで、アポロとは親しい関係にあることを強調します。

さらに、「アポロには、きょうだいたちと一緒にそちらに行くようにと、何度も勧めましたが、彼には今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう」と言います。

この文章を読むと、パウロがアポロにコリントに行くことを勧めているのに、アポロはパウロの言うことを聞かない困った奴だというような印象を持ってしまいがちです。なぜアポロはパウロの勧めに従ってコリントに行こうとしないのでしょうか。

アポロはコリントに行く意志は全くないと言っているのではありません。「今は」行かないと言っています。なぜ今はだめなのでしょうか。「今でしょ」という古いフレーズが出て来そうです。今は、コリント教会は1:12にあった様に、パウロ派、アポロ派等と言って分裂しています。

アポロは雄弁で、カリスマ性のある伝道者です。今、アポロがコリントに行ってしまうと、福音を正しく理解していないアポロ派の一部は勢い付いて、やっぱりアポロが一番だ等と言ってしまうかも知れません。

一方でパウロについては、Ⅱコリント10:10で、「パウロの手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者がいます。アポロは今、自分がコリント教会に行くことは、教会の融和と一致を進めるどころか、分裂をさらに悪化させてしまうことになりかねないと考えたのだと思われます。

そのような意味で、今行く意志は全くないと言っているようです。アポロも主の仕事をする者です。自分が褒められることを望むのではなくて、パウロが語る一見、地味に聞こえますが、福音の真理にコリント教会がしっかりと立つことを望んでいます。

福音の真理とは、15:3、4にあった、「キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちに罪のために、死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと、現れたこと」です。これは誰が語っても同じことで、誰は雄弁だけど、誰の話はつまらない、というレベルの問題ではありません。

クリスチャンは全て福音を信じる、違う意味で言ってみれば福音派であって、福音を語る人に付くパウロ派、アポロ派等というのは福音を正しく理解していない証拠です。その様なことで分裂している所にはアポロは行きたくないのでしょう。皆、主の仕事をしている者です。

まずこの手紙、次にテモテ、さらにパウロが行って、教会の一致が生まれた時にアポロは行きたいと望んでいるのではないでしょうか。アポロはその時こそ自分に与えられている賜物が生かされる時と考えているのだと思います。

パウロ、テモテ、アポロと3人の伝道者は同じ伝道者でも役割に違いもあります。しかし同じ主の仕事をする者としてお互いに尊重し合って、協力して主の御心のために仕えています。同じ主の仕事をしていても、この時のパウロとアポロのように人によって考えにも違いがある時もあります。

しかしその様な時に、自分の考えだけが正しいと拘るのではなくて、他の人も同じ聖霊の導きに従って、主の仕事をしていることを理解して協力して行きましょう。

6、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。今日の聖書個所では同じ主の仕事をしているパウロ、テモテ、アポロの3人について語られていましたが、それぞれに役割が与えられています。私たちの中でも、主の仕事をしている者でもそれぞれに役割が違い、考え方に違いがあることもあります。

その様な時にも、お互いが聖霊の導きに従って、主の仕事をする者として尊重し、受け入れ合うことが出来ますようにお導きください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。