聖なる者たちのための募金

2021年4月11日
コリントの信徒への手紙一16章1~4節

主の御名を賛美します。昨年度はコロナ・ウィルスの影響によって合計で約半分の半年間は会堂に集まっての礼拝が出来ませんでした。しかし、先日、財務から、月定献金額は下がらなかったと聞きました。教会の収入がどうかというよりも、コロナの影響があっても皆さんの収入が変わらずに守られているなら感謝なことです。

もしかするとコロナの影響で収入が下がったけれど、月定献金額は変えていない方もおられるかも知れません。皆さんの生活が色々な意味で守られるようにお祈りしています。

1、募金

先々週は受難週、先週はイースターでヨハネによる福音書から御言を聴かせて頂きましたが、またコリントの信徒への手紙一に戻ります。パウロはこれまで、この手紙でコリント教会に対して色々なことを書いてきました。教会内の争い、性的不品行、礼拝について、霊の賜物、復活について等です。

今日からはいよいよこの手紙の最後の章です。先週は、福音の最も大切な4つは、15:3、4の、キリストが私たちの罪のために、死んだこと、葬られたこと、復活したこと、現れたこと、であること、そしてそれを、信じて、命を得た者は、遣わされることを聴きました。

どのように遣わされるのでしょうか。これは一人一人よって本当にそれぞれです。家庭に、職場に、またこの世のあらゆる場面において遣わされます。遣わされることの一つとして、聖なる者たちのための募金があります。

募金を新改訳は献金と訳しています。教会ですので献金ですが、協会共同訳に従って募金と呼びます。これは現代において私たちも遣わされていることです。しかし、この場面での具体的な内容としては、3節に書かれていて、小見出しでもある、エルサレムの信徒のための募金です。

書き出しの、「聖なる者たちのための募金については」の「~については」という書き方からすると、7:1の男が女に触れることについて、8:1の偶像に献げた肉についてと同じで、コリント教会からパウロに質問した内容と考えられます。

そして募金については、パウロがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも行いなさいと言います。ということは、コリント教会はパウロがガラテヤの諸教会に指示した内容を知っているということです。ガラテヤ2:10等に書かれています。

パウロがガラテヤの諸教会に指示した内容がコリント教会にも伝わって、コリント教会はでは自分たちは、具体的にどのようにしたら良いのかということをパウロに問い合わせたと考えられます。その問い合わせに対してパウロは、「あなたがたも行いなさい」と言って、この後に具体的な方法を指示します。

2、エルサレムの信徒

募金の具体的な方法に入る前に、そもそもなぜエルサレムの信徒に募金が必要なのでしょうか。ガラテヤ2:10はエルサレムの信徒たちを貧しい人たちと言います。これは当時のエルサレムの社会に限ったことではありませんが、政治と宗教はお互いの利害によって近づいて行きます。

自分たちの利益のためですから、思想や信条とは余り関係なく、影響力のある者同士が近付くことになります。日本の政治と宗教を見ても分かりますが、宗教は与党である自民党に近づきます。エルサレムの社会的階層の上の人たちは、エルサレムの宗教の中心的であるユダヤ教と密着な関係を持っています。

主イエスは貧しい人たちや病人等のこの世の小さな者たちに伝道されていました。また、12弟子には漁師出身の人たちが多くいました。彼らの声に耳を傾けてキリスト教信仰を持つ者は元々、貧しい人たちが多かったようです。ガリラヤ等で信仰を持って、都会のエルサレムに出て来る者もいたことでしょう。

クリスチャンは当然の如く、周りのユダヤ教徒からは異教者として迫害を受けます。パウロの脳裏には、かつて自分もクリスチャンを迫害していた苦い記憶もあります。使徒言行録11:28には、この時代に大飢饉が起こったことも書かれていますので、貧しい者はさらに大変だったと思います。

パウロの手紙には、エルサレムの信徒への募金が、この手紙とこの後に続くコリントの信徒への手紙二、先程のガラテヤの信徒への手紙、ローマの信徒への手紙に書かれていて、とても大切に考えています。それはどのような理由によるものなのでしょうか。

ローマ15:27では、「異邦人がエルサレムにいる聖なる者たちの霊のものにあずかったのであれば、肉のもので彼らに仕える義務がある」と言います。福音はエルサレムのユダヤ人クリスチャンから異邦人のクリスチャンに伝えられましたので、霊のものである福音にあずかった異邦人クリスチャンは、肉のものである募金でエルサレムのユダヤ人クリスチャンに仕えるということです。

しかしこれは単なる義務というよりも、この時代に問題であったユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの対立が、募金を通して融和されて一つになることをパウロは願っていたと思います。

また援助は霊のものにあずかった人に対してだけ行うものではなくて、12:12~にありましたように、クリスチャンは同じキリストの体ですので助け合います。またクリスチャンでなくても必要な人には出来る範囲で援助をするものでありたいと思います。

3、募金方法

具体的な募金方法ですが、一つ目は、「パウロがコリントに行ってから募金が行われるようなことがないように」です。献金は自分を神に献げる献身の見えるかたちの一つとして行うものです。ですから自分が遣わされていると思うことに対して纏めて献金をするのではなくて、日々、祈りに覚えて自分を献げます。

二つ目に募金は具体的にどの頻度でするのかというと、週の初めの日ごとです。週の初めの日は日曜日です。旧約聖書で安息日は土曜日ですので、現代でも土曜日に礼拝をする教会もあります。しかし主イエスが金曜日の十字架の死から復活されたのは日曜日です。

そしてトマスが主イエスに実際に会わなければ信じないと言って、次に主イエスがトマスを含む弟子たちに現れたのは次の日曜日です。それで殆どのキリスト教会は主イエスの復活とその後に現れたことを記念して、日曜日を主の日である主日と呼んで、日曜日に礼拝を行うようになりました。

そして日曜日の礼拝に集まるごとに献金を行います。茂原教会を含めて多くの教会では毎週日曜日の礼拝の集会献金とは別に教会員の方を中心に月定献金を献げています。そしてこの御言に基づいて、月の初めの第一の日曜日に月定献金を献げる方が多くおられます。

なぜ月定献金なのでしょうか。それは日本の多くの給料等が月給制だからではないかと思います。欧米のキリスト教国はこの御言の影響か、給料は週給制が多く、毎週、頂いた給料の中から週の初めの日の日曜日に感謝の献金を献げるようです。

三つ目に、献げる額は、各自収入に応じてですので、一人いくらといった固定額ではありません。

ただこの募金は、エルサレムの信徒のための募金という特定の目的のためのものですので、収入に対する十分の一の什一献金とは別の、今でいう使途指定献金、特別献金のようなものでしょう。

四つ目の、幾らかでも手元に蓄えておきなさい、というのは一つ目の、「パウロがコリントに行ってから募金が行われるようなことがないように」の続きのような感じです。手元に蓄えておくのは、各自が家で自分の手元に蓄えておいて纏めて教会に持って来ると考えても良いですし、この手紙はコリント教会宛てですから、教会員は毎週日曜日に献げて、教会の手元に蓄えておくと考えても良いと思います。

4、届ける

そして献げられた募金はどのようにエルサレムに届けるのでしょうか。この当時は勿論、銀行による送金等はありませんので、誰かが現金を実際に運んで届ける必要があります。そして、そちらに着いたらというのは、一人称で書かれていますので、パウロがコリントに着いたらということです。その意味でも事前に募金を蓄えて準備をしておく必要があります。

そしてコリント教会の承認を得た人たちに手紙を持たせて送り出し、その贈り物である募金を届けさせましょうと提案します。お金に関わることですから、コリント教会が承認の出来る信頼する人たち複数で届けます。

ただ届けるだけではなくて、エルサレムを訪問して、エルサレムの様子を正しく理解して報告することが次の募金にも繋がりますので大切な働きです。民数記13章でカナンの地を偵察に行って信仰的に正しく報告をしたヨシュアとカレブのような人である必要があります。

またエルサレムの人たちと主にある良い交わりを持って、ユダヤ人クリスチャンと同じキリストの体として良い関係を作れる人物であることが求められますので人種差別主義者ではだめです。そのような意味で教会の承認を得た人たちが行く必要があります。

そしてパウロは、私も行くほうがよければ、その人たちは私と一緒に行くことになるでしょう、と言います。これはコリント教会がエルサレムに行くのに、良ければパウロが一緒について行くという意味ではありません。

エルサレムに行く中心人物はあくまでもパウロで、パウロにコリント教会の人たちが一緒について行きます。パウロはエルサレムに行きますが、コリント教会が望むならパウロに合流して一緒に行くことになるでしょうということです。そうでなければ、パウロがコリントに着くのを待つ必要はありません。

5、聖なる者たちのための募金

パウロはなぜ色々な教会にエルサレムの信徒のための募金を呼び掛けたのでしょうか。先程、いくつかの説明はしました。パウロは9:14で「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の糧を得るようにと、命じられたのです」と言います。パウロは天幕作りの副業をした時期もありましたが宣教を始めてからは宣教に専念しています。

そして主イエスは、マタイ10:42で、「私の弟子だということで、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」と言われました。主イエスは主の御用のための働き人を支えることに大きな祝福を持って報いてくださいます。それは福音が宣べ伝えられるためです。

私たちが主の働き人を支えることによって受ける祝福の体験を通して、さらにその御言の確信を持つようにと主は願っておられます。新年度を迎えた今、どなたに献金をすることが主の御心であるのか、改めて私自身も考えたいと思います。私たちにはこの世の生活もあります。祈りの中で、聖霊に示されるものを、自分の献身として聖なる者たちのために献げさせて頂きましょう。

6、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。あなたはパウロを通して、聖なる者たちのための募金をするようにと命じられます。そしてそれには必ず報いられると約束されます。あなたが茂原教会として支える方の御心をお示しくださり、私たちがそれを実行することが出来ますようにお導きください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。