「聖霊による熱心」

2021年8月29日説教  
コリントの信徒への手紙二 8章16~24節

        

主の御名を賛美します。約40年前になりますが、俳優の水谷豊が主演の熱中時代という学園ドラマがありました。主演の水谷豊は新任の教師の役で何事にも熱心で、水谷豊は熱中先生と呼ばれました。人気シリーズとして熱中時代・刑事編も出来ました。

少し前の日本では熱心であることは美徳とされていました。スポ根と同じようなものだったのでしょうか。最近は地球の温暖化もあって熱中症の件数も増えて来て、違う意味で熱中時代にはなって来ました。しかし温暖化や時代の変化と共に色々な知識も発達して、スポーツも根性だけではなくて、効率性や合理性が求められるようになって来ました。

そういう意味で、熱心ということが時代の感覚とは少し違って来ているのかも知れません。英語では格好が良いことをクールと言い、日本語でも同じようにクールと言います。クールというと熱いとは反対のような冷静という意味があります。時代の感覚は熱心よりも冷静なのでしょうか。御言を聴かせていただきましょう。

1、公明正大に

パウロはコリント教会にエルサレムの信徒のための献金をやり遂げるようにと勧めました。そして、その理由は同じキリストの体であるクリスチャンが平等になるためと説明しました。コリント教会でエルサレムの信徒のための献金を集めるために、パウロは3人をコリントに送り出しました。

「送り出した」と言っても、それはこの手紙をコリント教会が読む時には送り出していたという意味で、実際はこれから「送り出す」という意味で、この3人がこの手紙を持ってコリント教会に行ったと思われます。パウロが3人を送るような手順を踏んだのは、パウロたちが携わっている豊かな寄付について、人にとやかく言われないようにするためです。

お金が関わるところには色々な誘惑が働き易く、不正が起こり易いものです。また人は他の人がすることを色々と想像して、とやかく言ったりするものです。特にお金の関わるところではそうです。例え正しいことを行っていても、人はとやかく言うものです。多くの教会が関わっているこの大切な豊かな寄付については、とやかく言われないように誤解を招くような隙を作らないことが必要です。

このことは現代を生きる私たちにも必要なことで、献金に限らずに、全ての奉仕について、他の人に誤解を与えることのないようにして、とやかく言われないようにする必要があります。全知全能の神が全てをご存じであるから、神さえご存じであればそれで良いというのは身勝手な考えです。

特に献金は他の人も関わるものですから、他の人が疑問を持ったりして躓きを与えないように、不必要なトラブルを避けるために、人の前でも公明正大に振る舞う心がけが必要です。そのためにパウロは3人を遣わして、自分自身は献金を直接は取り扱いません。

7:2には、パウロたちは不正を働いて貪り取っているという人がコリント教会にはいましたので、パウロが献金を取り扱わない方が公明正大だと考えたのでしょう。

2、テトスと熱心

パウロが送り出す3人の内の一人目はテトスです。テトスはパウロがコリント教会に抱いているのと同じ熱心を抱いています。確かに7:15に、テトスは「ますますあなたがたに心を寄せています」とあります。そしてこの熱心は神がテトスの心に与えてくださったものでパウロは神に感謝します。

パウロは熱心という言葉を繰り返して強調します。熱心というのはどういうことなのでしょうか。テトスは6節のコリント教会でのエルサレムの信徒のための献金をやり遂げるようにとのパウロからの勧告を、17節で受け入れ、ますます熱心に、自ら進んでコリントに赴きます。

今回送り出される3人目の人も、22節で熱心と2回言われています。2人目の人も19節で、自分たちの熱意を現すように・・・と書かれています。コリント教会も7:7で熱心、7:11、12で熱い思いを持っています。とても熱い人たちです。

ただ真夏のこの暑い時に、熱心、熱い思いと繰り返されると、何となく少し暑苦しい感じがしないでもありません。しかし初めにお話ししましたように日本では熱心というと何となく昭和の感じがして、最近は熱心という言葉を普段は余り聞かなくなったような気がします。

では聖書の言う熱心とはどういう意味なのでしょうか。主イエスが律法の専門家からどの戒めが最も重要でしょうかと尋ねられた時に、マタイ22:37で、「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と答えられました。

神である主を愛するためには、心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くす必要があります。心と魂と思いを本当に尽くすには、神に対する熱い思いと共に冷静な思考・判断が必要です。そのように考えますと聖書の言う熱心は、神が与えてくださる聖霊の働きであるということが分かります。

人間の感情的な熱心だけですと勢いの余り行き過ぎてしまったり、長続きしなかったりすることもあります。しかしガラテヤ5:22の霊の結ぶ実には、寛容、柔和、節制等もありますので、聖霊による熱心には寛容、柔和、節制等も伴います。

欧米等のキリスト教国で人気のある映画シリーズに007があります。主人公の007ことジェームスボンドは国のために尽くす自分の職務に対して熱心ですが、とても危機的な状況にあってもいつも冷静に、クールにジョークを言ったりします。聖書のいう熱心は冷静な判断が伴うという聖書的な価値観が映画に反映されているのだと思います。

テトスに与えられた熱心は、テトスの感情的な熱心ではなく、パウロの抱いているのと同じ神の与えられた聖霊の働きです。それでパウロはテトスに聖霊による熱心を与えてくださった神に感謝します。そして聖霊の働きである熱心によって、テトスはパウロの勧告を受け入れ、自ら進んでコリントに赴きます。テトスはパウロの同志であり、コリント教会に協力する者です。

3、二番目の人

パウロたちは、人の前でも公明正大に振る舞うために、テトスと一緒に、一人の兄弟を送り出します。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されています。この人が具体的に誰なのか色々な説がありますがはっきりとしたことは分かりません。

具体的な名前より大切なことは、このような大切な働きをする人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されている人であるということです。この人はそればかりではなくて、パウロたちの同伴者として諸教会から任命されました。

エルサレムの信徒のための献金は、コリント教会だけの働きではなくて、諸教会全体の働きですので、諸教会全体にその人の熱心が知られていて任命される必要があります。聖霊の働きである熱心を持つ者が、神の恵みの業である献金の働きに加わるのに相応しい者です。

またエルサレムの信徒のための献金である恵みの業は、主ご自身の栄光と自分たちの熱意を現わすものです。献金は9節にありましたように、主イエス・キリストの十字架による救いの恵みを受けて知った者が、恵みの連鎖、リレーとして他の人に与えるものですので、主自身の栄光を現すものです。また献金は聖霊によって熱心にされた者が、その熱意を現わすものです。

4、三番目の人

テトスと一人の兄弟と一緒に、もう一人の兄弟を送り出します。三人を送ることは申命記17:6の「証人は二人または三人の証言による」の律法に基づくものと思われます。この人が熱心であることは、パウロたちがいろいろな機会にしばしば認めたところです。

ということはパウロたちはこの3番目の人を単なる評判だけで知っているのではなくて、直接にいろいろな機会を通して知っているということです。大切な働きに人を遣わす時には評判も大切ですが、自分自身が直接に知っていることの大切さを教えられます。

私たちも何か大切な働きを人に委ねる時には、直接に会って知ることが大切です。例えば自分の家族が結婚する時には、結婚相手に直接に会うことによって相手を知って安心出来ることもあります。この3番目の人はコリント教会に厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっていると言います。

しかしそのような熱心な人であれば、コリント教会は問題が山積みの教会であることを聞いて知っているはずです。そうではありますが、テトスが前回にパウロの書いた涙の手紙を持ってコリント教会を訪れてコリント教会が悔い改めたことを聞いたのでしょう。

聖霊による熱心な人は、ある人や教会が過去にどういう状態だったかということよりも、悔い改めたという現在の状態に関心を持ちます。この人はコリント教会が悔い改めてパウロたちとの信頼を回復したことで、厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。この2番目と3番目の人は諸教会から遣わされた使者であり、19節にありましたように、キリストの救いの恵みの連鎖、栄光を映す者です。

5、コリント教会の対応

このような聖霊に満たされた3人の熱心な使者の訪問に対して、コリント教会はどのように彼らを迎え入れたら良いのでしょうか。パウロはアドバイスをします。パウロの本心は聖霊による熱心に対して聖霊による熱心で応答してくださいという思いです。

それを具体的に、「だから、あなたがたの愛の証しと、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で彼らに示してください」と言います。

コリント教会の愛の証しとは、コリント教会はキリストの愛による十字架により救われたキリストの愛を受けています。また7節でパウロたちからの愛も受けています。それらの愛を受けて、持っている愛の応答、証として主にある兄弟姉妹で今困難の中にあるエルサレムの信徒のための献金として示してくださいということです。

またパウロたちが誇りとしている証拠とは、コリント教会はパウロに対して不信感を持っていましたが、7:9で悔い改めて、7:11で熱意をもたらしました。パウロたちはそのようなコリント教会を誇りとしていますが、その証拠としてエルサレムの信徒のための献金として示してくださいということです。

コリント教会は問題が山積みであったことは諸教会に知れ渡っています。しかし今や悔い改めた証拠と、キリストの愛の業を行っている証しを諸教会の使者の前で示すことをパウロは望みます。それは何のためなのでしょうか。コリント教会の評判の回復のためなのでしょうか。それもあるかも知れません。

しかしこれが、4:15で、「こうして、恵みがますます多くの人に及んで、感謝に満ち溢れさせ、神の栄光となるのです」とあった通りです。聖霊による一人の熱心が色々な人に働きかけて、多くの熱心を引き起こして、恵みの業が次々に行われて行きますが、その目的は神の栄光を現すためです。

クリスチャンは聖霊の働きによって熱心な者です。表面的には暑苦しく感じないようにクールに振る舞いつつ、聖霊による熱心によって、神の栄光を現させていただきましょう。

6、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。私たちの心の中には感情的な熱心がありますが、時に行き過ぎてしまったり、長続きしなかったりするものです。神様、聖霊による熱心で私たちを満たしてください。そして主に前だけではなく、人の前でも誤解を与えずに冷静に公明正大に振る舞う者とさせてください。

そして聖霊による熱心によって行われる恵みの業のリレーによって神の栄光が現れますように、主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。