「始まりの言葉」 

2022年1月30 日
ヨハネ2:1~12                                         野田栄美姉

➀ はじめに

先週は新型コロナウイルスの感染者が急増しました。この2年の間に、私たちは、新型コロナウイルスへの対策をしつつ、毎日の生活をするようになりました。出かけるときはマスクをし、家に帰ってきたら、何も触らないようにしながら、洗面所へ直行し20秒以上手を洗います。買ってきたものを消毒したり、直ぐにシャワーに入ったりする方もいるでしょう。ウイルスを家の中に入れないように、それぞれが気をつけながら生活するようになりました。

② 清めに用いる水

今日お読みした聖書には結婚式でのできごとが書かれています。その会場となった家には、あるものが置いてありました。それは、清めに用いる石の水がめです。ユダヤ教では、旧約聖書のレビ記や民数記にあるように、汚れた物に触れたりしたときには、規定通り自分を清めなければなりませんでした。その清めに用いられたのが、この水がめに入れた水でした。動物の死骸に触れてしまった、亡くなった方のご遺体に触れたといったような場合に、この水がめの水で身を清めました。神の前で汚れているとされないように、罪を認められないように守る儀式でした。

③ 社会からの孤立

このような生活は、きっと今の私たちの生活のように、窮屈で気が抜けない生活だったでしょう。けれども、神の前に罪を認められないために、欠かすことのできないことでした。ユダヤ人は宗教的民族でもあります。宗教的に罪人とされてしまうと、当時のユダヤ人社会からのけ者にされます。収税人であったザアカイの記事(ルカ19:1~10)からも、罪人とされた人の生活は、孤独だったことが分かります。人々からの軽蔑の目にさらされ、ユダヤ人社会から存在を認められることなく生活をすることになります。村八分という言葉がありますが、丁度そのような状態になりました。

清めの儀式が、重要なものであったことが分かります。

④ ぶどう酒が表すもの

 この結婚式での奇跡では、その清めに用いられる水が主イエスによってぶどう酒に変わりました。

 この自然界で、水が突然ぶどう酒になることはありません。水がぶどう酒になったこの奇跡を目の当たりにした弟子たちは、主イエスが神の子であることを改めて信じました。主イエスは、この奇跡を通して、神としての力を見せてくださいました。この世界の創造主としての力です。

けれども、それだけでなくこの奇跡を通して、別のことも伝えておられました。それは、4節でおっしゃった「私の時」が来たら、私たちに何がもたらされるかということです。

「私の時」という言葉は、ヨハネの福音書で何度も使われていますが、「私の時」とは主イエスが十字架に掛かられる時です。主イエスは、マリアとの会話の中で、「私の時」のことを考えていると示されました。その後に起きたのがこの奇跡です。この奇跡は「私の時」に何が起こるかを表しています。

それは、十字架にかかられるときに、清めの水がぶどう酒に変わることを示しています。このぶどう酒とは、十字架で流される主イエスの血です。

 それは、清めの水によって、自分たちの罪の汚れを清め続けていた生活が、大きく変わることを表していました。清めの水では、何度も何度も、汚れる度に洗わなければなりません。けれども、ぶどう酒が表す主イエスの血は、たった一度で全ての罪を清めます。

この奇跡にただの水を使い、それをぶどう酒に変えることも、主イエスには可能だったでしょう。けれども、主イエスは敢えて清めに用いる石の水がめを用いて、清めの水をぶどう酒に変えられました。それは、「私の時」に、罪を清めるために必要な水が、ぶどう酒である主イエスの血になり、罪を清めることを伝えるためでした。

⑤ ワクチン

 このところ、毎日のようにニュースで耳にする「ワクチン」は、新型コロナウイルスへの対策の要です。第5波においては、ワクチンが大きな効果をもたらしたと言われています。ここで、想像してみましょう。もし、あるワクチンをたった1回打てば、決して新型コロナウイルスにかからなくなるとしたら、どうでしょう。そのニュースは、世界中にとって大きな希望になります。副反応等のことも勿論検討する必要があると思いますが、そのような心配がないとしたら、誰もがそのワクチンを接種しに行くと思います。それは、大きな自由をもたらすからです。誰にでも会える、一緒に食事ができる、手をつなげる、喜びの生活が待っています。

 そのようなワクチンのように、たった1回だけで罪から完全に清められることは、素晴らしいニュースです。罪の苦しみは、この1,2年の苦しみではなく、生まれてからずっとです。縛られ続けている罪から、完全に開放してくれるものが与えられたことは大きな喜びです。

⑥ ぶどう酒の量

 その喜びがどれほどのものであるか見てみましょう。それはぶどう酒の量に表れています。

 主イエスがぶどう酒に変えられた水は、どの位あったでしょうか。1かめが2ないし3メトレテス入りですから、リットルに直すと大体1かめが100リットルです。それが、6本あったので、約600リットルの水があったことになります。この結婚式に何人の人が集っていたかは分かりませんが、100人の人が一日に10杯以上のぶどう酒を1週間飲んでも有り余る量でした。実際にこの結婚式で必要だったぶどう酒の量を十分に超えていたでしょう。

ユダヤ人の口伝律法である「タルムード」には、「ぶどう酒なければ喜びなし」と書かれています。ぶどう酒イコール喜びということです。聖書の中にも、ぶどう酒は喜びをあらわす表現として何度も使われています。

  • アッシリアに征服されたイスラエルに、回復を預言したアモス書には、このように記されています。アモス9:13「その日が来る――主の仰せ。耕す者は刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は種を蒔く者に続く。山々は甘いぶどう酒を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。」ここでは、イスラエルという国の回復の喜びをぶどう酒で表わしています。
  • 創世記には、ヤコブが子どものユダを祝福する時にこう言いました。創世記49:11「彼は雄ろばをぶどうの木につなぎ 雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。衣をぶどう酒で洗い 服をぶどうの果汁で洗う。」ぶどう酒が溢れるほどに与えられる表現です。これはユダが将来喜びに満ち溢れることを表す言葉です。

溢れてあまり有るぶどう酒は、溢れるほどの喜びです。大量のぶどう酒は、主イエスの血による罪の清めが、溢れるほどの喜びをもたらすことを表しています。

⑦ 教会は喜びの証し

 主イエスが神の子だと信じるようになると、この溢れる喜びを体験するようになります。

夫が牧師になってから、よく、どうやって生活しているのと聞かれるようになりました。確かに不思議なことだと思います。物を売って商売をするわけでもない、会社で利益を上げているわけでもない、国や自治体のために働いているわけでもない。

 その答えを、この奇跡が教えてくれています。教会は、主イエスを信じた人、つまりクリスチャンの集まりです。そのクリスチャンは、罪から清めていただいた溢れるほどの喜びを、その生活の中で体験します。そして、神に感謝します。そして、その感謝の一部を献金として表します。それは神の教会に捧げられます。その献金が神を礼拝するために用いられます。その一部が礼拝で聖書のみ言を取り次ぐ、牧師にも与えられます。

 もし。クリスチャンが神からいただいた喜びを体験していなければ、教会は存在しません。もちろん、日々の生活の中で、様々な時を通ります。けれども、茂原教会がここにあること、これは神からの喜びをいただいていることの証しです。

⑧ 奇跡の始まり

 ところで、この奇跡はどうやって始まったのでしょうか。それは、マリアの一言からでした。マリアは、結婚式のためのぶどう酒がなくなって、主イエスに、「ぶどう酒がありません」と言いました。全てはここから始まりました。

私たちはどうでしょうか。ぶどう酒が表す喜びを持っているでしょうか。心に喜びがあるでしょうか。新型コロナの感染が広がってから、私たちの生活は変わってしまいました。人と人の間に距離を取る必要があり、人と接する中での喜びを感じる機会が少なくなりました。これは、クリスチャンも同じです。もちろん、オンラインで遠くの友人に会うことが可能になったり、今までできなかったことができるようになりました。けれども、寂しさを全て拭い去ることはできません。

今日、この時、もう一度、自分の心に目を向けてください。喜びがなくなっているそう感じる方がいらっしゃるでしょうか。どこかに引っかかることがあって気持ちが晴れない、先が見えないことに疲れを感じる、自分自身でも気がついていない思いがどこかにあるかもしれません。

聖書では、私たちの心の罪によって、私たちは神から離れていると伝えています。喜びの源である神から離れてしまっては、心が満たされることは難しいと聖書は言います。

もし、喜びがない、喜びが少ないと感じておられる方いらっしゃったら、「私の心に喜びがありません」、そう主イエスに声を掛けてください。「私の心に喜びがありません」そう祈ってください。紙に書いてもかまいません。どんな言葉でもかまいません。正直に、あなたの心にある思いを、悩みを、苦しみを主イエスにお話ししてください。

マリアが主イエスに「ぶどう酒がありません」と声をかけた時には、頼りになる息子が何かをしてくれるだろう位にしか考えていなかったでしょう。このような奇跡が起こることを想像してはいませんでした。あなたもマリアのように、主イエスがなんとかしてくださると、頼ってください。そして、「この方が言いつけるとおりにしてください」とマリアが言ったように、完全に自分自身をお任せしましょう。そのときに水がぶどう酒に変わります。想像していないことが始まります。このぶどう酒の奇跡を、今週あなたも体験させていただきましょう。