「主イエスからの贈りもの」

2022年6月5日説教
使徒言行録 2章1~4節

                                                                野田栄美 

  • 始めに

 今日の聖書は、ペンテコステの場面です。ペンテコステとは、聖霊が天から、私たちの世界へ降りてきてくださった、聖霊降臨日のことです。これは、私たちにとって、とても意味のある日の一つです。教会の特別なお祝いといえば、クリスマスが有名です。世界中でお祝いされています。また、イースター、主イエスの復活際もとても有名です。ペンテコステはその次に大きなお祝いの時です。どなたが聖霊を私たちのところに送られたのか、そして、そこにどんな素晴らしいことが隠されているのかを、聖書から見ていきましょう。

  • イエスの昇天

 主イエスは、復活されてから40日間、弟子たちや人々に現れてくださった後、弟子たちの見ている前で、天に上げられ、雲に覆われて見えなくなりました。主イエスが復活されて、喜びに満たされていた弟子たちは、どのような気持ちで主イエスが天に上げられるのを見ていたのでしょうか。

 時々、私たちはこんな風に思うことがないでしょうか。「イエスさまがここにおられたらなあ、直接お話できたのに。イエスさまに会いたい。イエスさまが生きておられた時代に生きていたかったなあ」と。いつでも、主イエスと共にいたいというのが、クリスチャンの願いです。勿論、弟子たちもそう願っていました。

 けれども、主イエスは、この地上に留まることはせず、たった一人で天に昇られました。私たちのために十字架にかかられるほどの溢れる愛を持っておられたのに、どうして弟子たちから離れられたのでしょうか。

 主イエスも勿論、大切な人たちと一緒にいたかった。離れたくなかったでしょう。それでも、天に昇られたのは、それをすることで、大切な人たちに与えることができるプレゼントがあったからでした。その贈りものが、大切な人たちにとって本当に必要だと知っていたからこそ、天に昇られました。ヨハネによる福音書16:7にはこうあります。「実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

 主イエスは、弁護者を大切な人たちに送る必要があることをご存じでした。そして、そのために天に帰らなければなりませんでした。その弁護者とは、聖霊のことです。

  • 聖霊を送る意味

 主イエスは、どうしてそんなに聖霊を大切な人たちに与えたかったのでしょうか。それには、3つの意味があります。

  1. 聖霊は、永遠に私たちと一緒に居てくださる。(ヨハネ14:16)
  2. 聖霊は、主イエスが一緒にいてくださることを分かるようにしてくださる。

(ヨハネ14:20)

  • 聖霊は、主イエスが話したことを思い出させて、すべてのことを教えてくださる。

(ヨハネ14:26)

聖霊が注がれると、私たちは、みなしごではなくなります(ヨハネ14:18)。人として生きておられた主イエスは、寝る時間もありましたし、複数の場所に同時におられることはできませんでした。しかし、聖霊は、24時間複数の場所にいることができるお方です。ですから、どんな時も、私たちはひとりぼっちではなくなります。永遠に一緒ですから、いなくなる心配をする必要もありません。また、主イエスが、一緒にいてくださることを分かるように、心の目を開いてくださいます。そして、主イエスがこの世で話してくださったことを全部理解できるように教えてくださいます。

 これらのことから分かるように、聖霊は、人としてお生まれになった主イエスができないことをすることができる方です。主イエスはその聖霊にバトンを渡すために、天に昇られました。

 このことを、主イエスは、十字架におかかりになる前や、復活して天に上げられる前の40日間に、何度も繰り返し、語られていました。「あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を受けるからである。」(使徒1:5)、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(使徒1:8)(ヨハネによる福音書14:16、17、26,16:7、13)と、何度も語って、弟子たちが心の準備をできるようにしてくださっていました。

  • 聖霊とは

 その聖霊とは、どなただと聖書は語っているでしょうか。

聖書が語る神は、三位一体の神です。父なる神、子なる神である主イエス、そして聖霊の3つの神(位格)が、3つで1つの神です。3つでありながら、完全に一致した一つの神であると聖書は語っています。聖霊とは、父なる神と主イエスと一つの神です。

聖書を歴史としてみる時、3つの神それぞれが、主体(主人公)となる時代があります。旧約聖書の時代は「父なる神」が直に語られた時代であり、福音書は「主イエス」が人となってこの世で働かれた時代、そして、使徒言行録以降(主イエスの昇天後のペンテコステより)「聖霊」が人に働かれる時代です。

 ペンテコステとは、3番目の聖霊の時代の幕開けのできごとです。今、私たちが生きているこの時代も聖霊の時代です。

  • 聖霊降臨のできごと

聖霊は霊ですから目で見ることはできません。けれども、明らかに聖霊が降られたことが分かるできごとが、五旬祭(過越しの祭から50日目)の日に起こりました。

最初は、音でした。天から激しい風が吹いてくるような音が起こりました。その音を聞いて、大勢の人が集まったそうですから、驚くような大きな音だったことが分かります。そして、弟子たちが集まっている家中に響いたかと思うと、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。

 すると、弟子たちは聖霊に満たされました。そして、霊が語らせるままに、外国の言葉で神が行われた偉大な業について、語り始めました。

エルサレムは、神の神殿があるユダヤ教の聖地でした。様々な国から来た信仰熱心な人々が集まり住んでいました。大きな音を聞いて集まってきたその人たちは、自分たちの出身の国の言葉で、神のことが語られているのを聞き、心から驚きました。ガリラヤ地方からきた田舎者が、急に外国語で、それも神の業を話し始めたからです。

これが、聖霊が降られた最初のしるしでした。

旧約聖書にも、神の霊が降ったときに、神の預言を突然語り始めるサウルの姿が書かれています。「神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言者のようになった。」(サムエル記上10:10)神の霊である、聖霊が人に激しく降り、その人を満たすとき、通常では起こらないような状態が起きます。それが、このペンテコステのできごとでした。

  • 弟子たちの変化

 弟子たちに起きた変化は、それだけではありませんでした。ペトロは11人の使徒たちと共に立ち上がり、集まった人々に堂々と主イエスのことを証ししました。この後、弟子たちは明らかに以前とは変わりました。主イエスが捕まったときに、恐ろしくて散り散りに逃げていった、怖がりの弟子たちではなくなりました。むしろ、命が狙われようと動じることなく、主イエスが神の子であることを証しするようになりました。

 主イエスが昇天される直前に、こう言われたことの成就です。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てにまで、私の証人となる」(使徒言行録1:8)

 聖霊が注がれると、人は主イエスが神の子であると証言する人に変えられます。これが聖霊が共におられる人のしるしです。

弟子たちは、生涯主イエスを証しし続けました。これは、聖霊がずっと共にいてくださったしるしです。そして、主イエスが政治的なリーダーになるとは、全く考えなくなりました。

そして、ペンテコステのできごとの後、生涯、弟子たちは命を狙われ続けますが、彼らは主イエスを証しすることをやめることはありませんでした。

  • 主イエスからの贈りもの

ヨハネの福音書13:1には、最後の晩餐の始まりの言葉として、著者であるヨハネが書いた言葉があります。「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた。」

主イエスは、この時も、ご自分が人々にあがめられること、賞賛されることを手に入れようとは決して思われませんでした。ただ、弟子たちが、そして、ご自分を信じる人たちが一番幸せになるように、そのことだけのために、ご自分を献げられました。

ご自分が天に昇り、聖霊を注いでくださったことにも、その愛を見ることができます。

ですから、私たちは、主イエスがいた時代に生きていたかったというような思いを横に置き、主イエスが送ってくださった聖霊をいただきましょう。聖霊に私たちの心の目を開いていただきあ、主イエスがいつでも私たちと共にいてくださることを教えていただきましょう。

主イエスは、「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:13)と、約束してくださっています。今日、この記念すべきペンテコステの日に、聖霊を与えてくださいと、求めましょう。もう、いただいていることは分かっていますという方も、主イエスのことが更に分かるように、聖霊をいただきたいと祈りましょう。聖霊は、主イエスからのかけがえのない贈りものです。