「主を畏れなさい」

2022年9月25日説教  
申命記 8章1~10節

        

主の御名を賛美します。今週で9月が終わり今年度も半分が終わろうとしています。私は手帳の先のスケジュールを見て今後のことを考えることはありますが、終わったスケジュールを見ることは、何かを確認する以外にはまずありません。先週、終わった失敗を思い返してくよくよする必要はないことをお話しましたが、思い起こして考えることは必要だと思います。

1、思い起こしなさい

モーセは、最後に書いた書であるこの申命記で同じようにことを繰り返し言いながら、少しずつ言い方を変えて、内容を深堀して語ります。高齢の方は同じことを何度も繰り返し話されることがあります。いくつかの理由は考えられますが、その一つはモーセと同じように、自分が本当に大切だと思っていることを、何とか相手にしっかりと伝えたいという思いからかと考えさせられます。

今日の個所には5つの命令がありますが、1つ目の命令は、「今日私が命じる戒めをすべて守り行いなさい。」です。その命令に伴う約束はその後の、「そうすればあなたがたは生き、数を増し、主が先祖に誓われた地に入り、これを所有することができる。」です。同じようなことは、6:1~3でも言われていました。

その命令と約束が真実であることの証拠として、2つ目の命令として、「あなたの神、主がこの40年の間、荒れ野であなたを導いた、すべての道のりを思い起こしなさい。」です。「思い起こしなさい」は、先週の7:18、そしてこの後の8:18でも繰り返される大切な言葉です。先週の7:18で思い起こすことは、主が敵に対して行われたことでしたが、今日は主が自分を導かれた道のりです。

先週もお話しましたが、茂原教会の70周年記念の御言である創世記16:8の前半は「あなたはどこから来たのか」です。自分の歩んで来た過去の道のりを振り返り、思い起こすことは、クリスチャンに限らずに全ての人にとってとても大切なことです。皆さんも、ちらっとでもこの40年の間の道のりを思い起こしていただきたいと思います。

イスラエルはどのようなことを思い起こしたでしょうか。40年の荒れ野の道のりは、荒れ野の昼の暑さ、夜の寒さ、食べ物や水を手に入れるための困難、野獣等に襲われる危険、他民族との戦い、誘惑、主からのカナンへの出撃命令への反抗、モーセへの反逆等、ありとあらゆる苦しみ、試みがありました。

これはイスラエルだけのことではなく、私も含めて皆さんすべての方にとって、この40年の間の道のりには、様々な苦しみ、試みがあったことと思います。そのような苦しみ、試みに対してイスラエルは、「主は私たちを憎んで、滅ぼそうとしているのだ」(1:28)とつぶやいて逆らいました。

聖書を読んで、つぶやいてはいけないということを知っている私たちも、苦しみや試みの時に、「神を信じているのに、なぜ私はこのような目に遭うのだろうか」という思いがよぎり、信仰が揺らぐ時があります。それに対して主はモーセを通して、それは「あなたの心にあるもの、すなわちその戒めを守るかどうかを知ろうとされた。」のだと言われます。私たちは大きな問題が無い時には、ぼろを出さないようにと色々と取り繕うことが出来ます。しかし苦しい時には本音が出て来ます。苦しみ等についてゼカリヤ13:9は、「私は三分の一を火の中に入れ銀を精錬するように精錬し金を精錬するように吟味する。」と言います。

私たちが経験する苦しみや試みは金属を精錬し、不純物を取り除くための作業のようなものなのでしょう。そしてあなたを苦しめ、飢えさせました。飢えるというのは、人間の三大欲求と言われる食欲が断たれることであり、長引けば命に関わる重大な問題です。

出エジプト記16章で、荒れ野で飢えたイスラエルはモーセとアロンに向かって不平を言いました。その時に主は、「あなたもその先祖も知らなかったマナを食べさせられ」ました。マナは主から与えられた天からのパンです。マナを見たイスラエルが、まー何だろうと言ったのでマナになったのかと思うと少し違って、マナは「これは何だろう」という意味です。

そしてそれは、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためで」した。人は飢えると食べ物のことで頭が一杯になって他のことなど考えられなくなってしまいます。しかし主の言葉に信頼させるためにあえて主はそのようにされました。

そうは言っても私たちには具体的にどのようにしたら良いか分かりません。しかし主イエスが荒れ野の誘惑のマタイ4:3で良いお手本を見せてくださいました。悪魔から、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と一見、最もなようなことを言われました。しかし主イエスは正に3節の御言を引用されて、「人はパンだけで生きるものではなく神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と模範回答をされました。

今日は礼拝の後に教育部のディスカッション「教会について語ろう」を行います。そこでは3つの問いが掲げられていて、「なぜ教会へ?何を求めて教会へ?教会に来続けるのは?」です。教育部の中で話し合っている中で、私は何も発言はしませんでしたが、初めの正直な気持ちは他の男性のメンバーと同じく、私たちはこれから何をするのかといったような内容の方への思いの方がありました。

しかし良く考えると、何をするのかといったようなことは、ある意味で、あしたのパンのことを考えるようなことです。しかし聖書はまずあしたのパンのことを考えるのではなく、「あなたはどこから来たのか」と過去の主の恵みをまず思い起こしなさいと命じておられるという思いに至りました。

70周年記念に相応しい大切なテーマが与えられ、今日のディスカッションが恵まれた時となるようにお祈りすると共に楽しみにしています。

綾小路きみまろさん風に言うと、あれから40年、夫婦関係等には色々な変化はあったかも知れませんが、モーセは荒れ野のこの40年の間、あなたの着ていた服は擦り切れず、足は腫れなかったと言います。荒れ野のような過酷な環境の中で40年間も擦り切れない服とは、どんなにタフな服なのだろう、ワークマンもびっくりという感じがします。

しかしこれは一つの服を40年間着続けたけど擦り切れなかったという意味よりも、擦り切れた服を着る必要はなかったという意味のようです。それは多少は擦り切れはしたけれど、それを補修する物は与えられた、また擦り切れた服を着なくても良いように新しい服が与えられたという意味のようです。

同じように長距離を歩いて足が腫れることもあったかも知れませんが、足が腫れ続けることはなく癒されたという意味のようです。それは主イエスがマタイ6:31~33で言われている通りです。私たちがまず求めるのは神の国と神の義です。食べ物、飲み物、着物ではありません。

2、主を畏れなさい

2つ目の命令の、「すべての道のりを思い起こしなさい」ということの中で、3つ目の命令は、「人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練することを心に留めなさい。」です。自分の過去を思い起こすと、誰にでも苦しみや試みがあったことと思います。

しかしそれが訓練であると心に留めなさいと言われると、私などは正直なところ、もうそういう訓練は十分ですという気持ちが心の隅にあります。それは自分は十分に成長したから訓練が必要ないということではなくて、これ以上の苦しみや試みに遭う位なら、もう成長はしなくても良いのではと感じてしまう弱さです。

しかし主は7:6で、私たちを主の聖なる民、ご自分の宝の民としてくださっていますので、それに相応しいように精錬されます。Ⅰコリント10:13は、「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れ道をも備えてくださいます。」と約束してくださいますから信頼して歩ませていただきたいと思います。

そして将来に向かって、「どこへ行こうとしているのか」についての、4つ目の命令は今日の中心聖句の、「また、あなたの神、主の戒めを守り、その道を歩み、主を畏れなさい。」です。先週の7:21で、主はあなたのただ中におられる大いなる畏るべき神であるとありました。

その畏るべき神を畏れなさいとは、具体的にどういうことをすることなのでしょうか。それはここまでの纏めと言えます。第1に、今日の1つ目の命令である主の戒めを守ることです。そして第2に、主の道を歩むことです。主の道を歩むとは、2つ目の命令である、主の導いた道のりを思い起こすことであり、3つ目の命令である、主の訓練を心に留めることです。

それは具体的にこの世で何をするかというようなことではありません。「まず神の国と神の義を求めなさい。」ということです。

主は聖なる民、宝の民をどこへ導かれるのでしょうか。あなたの神、主は、あなたを良い地に導き入れようとしています。良い地とは具体的にどのようなところでしょうか。そこは神の約束の地である神の国です。具体的には第一に、平地でも山でも川の流れがあり、泉や地下水が溢れている水の豊かな地です。

日本は川が多く水の豊かな国です。しかしイスラエルがこれまで歩んで来た荒れ野は乾き切った地でした。災害などで被害に遭った人を救助する時に、72時間の壁ということが言われます。それは人間が水を飲まずに生きられる限界が大体72時間(3日)だからです。それ程に水は人間にとって大切な命の水です。

ここでは直接的には物質としての水が豊かな地であることを言っていますが、霊的には主イエスが命の水を与えてくださることを意味しています。それはこの世で与えてくださる新生の命の水であり、この世の後の新天新地ではヨハネの黙示録22:1にある命の水の川です。

第二に、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの実る地、オリーブ油と蜜の取れる地です。これらはカナンの7つの特産物で本当に豊かな地です。それはヨハネの黙示録22:2の、川の両岸には命の木があって、年に12回実を結び、毎月実を実らせるようです。そして不足なくパンを食べることができ、命のパンが与えられ、何一つ欠けることのない地です。

石は鉄を含み、山からは銅を掘り出せる地です。鉄と銅があるということは地下資源が豊富な地です。金属製品の原料として鉄と銅は大切なものです。現在でもこの地域は地下資源が豊かで恵まれています。

今までの40年間の荒れ野とは正反対のような、水と食べ物が豊富な地に入って、あなたは食べて満足します。そのときに私たちは何をするのでしょうか。5つ目の命令は、「その良い地をくださったことを覚えて、あなたの神、主をたたえなさい」です。

私たちは苦しみや試みのときには、神につぶやいたり、逆に苦しい時の神頼みをしたりします。しかし満足するときは、神を忘れてしまいがちです。満足するときにこそ、感謝を覚えて主をたたえましょう。主に満たされ満足する時に主をたたえるなら、更に満たされて、良い好循環の中を生きて行けます。

今日の個所には5つの命令があります。1つ目は、戒めを守り行いなさい、2つ目は、主が導いた道のりを思い起こしなさい、3つ目は、主の訓練を心に留めなさい、4つ目は、主を畏れなさい、5つ目は、満足するとき、主をたたえなさい、です。5つの命令を纏めて、主を畏れなさいということが出来ると思います。

主は敵である悪に対しては、先週の7:16~26にありましたように徹底的に滅ぼし尽くされます。しかし、主イエスの十字架の贖いによる罪からの救いを信じる、主の聖なる民、宝の民に対しては、良いもので完全に満たして満足させられます。私たちはそのような大いなる神を畏れると共にたたえます。そのために主イエスは十字架に付いてくださったのです。

3、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。イスラエルは過去の40年の間、荒れ野の中で苦しみ、試みに遭い過酷な道のりを歩んできました。それは私たちの歩みとも似たようなものです。色々なこともありましたが、イスラエルも私たちも主によって守られここまで来ることが出来ましたことを感謝いたします。私たちが、あなたが導いてくださったすべての道のりを思い起こし、聖霊に満たされ、私たちのただ中におられる大いなる畏るべき主を畏れ、歩ませてください。そしてあなたが導き入れようとする神の国を感謝し、主をたたえて歩ませてください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。