「地を治める」

2023年11月5日礼拝説教  
申命記 22章1~12節

      

主の御名を賛美します。

1、見ない振りをしない

申命記の17:8からは一般的な社会生活での具体的な規定についてです。今日の初めは、同胞の牛または羊が迷っているときです。現代の私たちが同胞の牛または羊が迷っている場面に出くわすことはまず無いとは思います。この近くの辺りでも牛は飼われていますが、私たちが、出くわすのは迷っているどうかは分かりませんが、せいぜい犬か猫位でしょうか。

もし迷っているのを見て、見ない振りをしてはなりません。「見ない振りをしてはならない」と3回言って強調しています(1、3、4節)。必ずその家畜を同胞のもとに戻さなければなりません。そのようなときには、自分のものではないから関係無いと考えるべきではありません。

これは同胞が近所の人であるものに限ったことではありません。近くの人でなく、知らない人なら、家畜を自分の家に連れ帰って手元に置き、その同胞が捜しに来たとき、その人に返します。またこれは家畜が牛または羊というイスラエル人にとって、食べるのにきよい動物だけではなく、汚れた動物であるろばに対しても同じです。

またこのことは牛やろば等の家畜に限ったことではなく、外套といった衣服をなくした場合でも同じです。そして同胞のろばまたは牛が道に倒れて困っている場合でも同じで、見て見ない振りをしてはなりません。必ずその人と共に助け起こします。

これは、その日が例え安息日であってもです。ルカ14:5で主イエスは、「あなたがたの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」と問われました。

ここでは同胞に対してだけのことが書かれていますが、出エジプト記23:4、5は、あなたの敵の牛、ろばについても同じようにしなさいと命じます。敵、味方は関係なく誰に対しても見ない振りをしないで、正しいことを行う必要があります。

2、その他の規定

この後はその他の規定で、一つ目は、女は男の服を身にまとってはならず、男も女の服を着てはなりません。現代ではファッションとしてそのようなことが行われたりしています。ここでは、倒錯した性感覚を問題にしていて、そういったことを主は忌み嫌われます。但し、このことをそのままLGBTQの問題と直結させて考えるのは軽率であって、分けて考える必要があるように思います。

二つ目は、鳥の巣を見つけて、母鳥が雛か卵を抱いている場合には、母鳥を雛と一緒に取ってはなりません。必ず母鳥を逃がし、その雛だけを取ります。これはなぜなのでしょうか。この規定には約束が付いていて、そうすれば、あなたは幸せになり、長く生きることができます。

この文章を読んで私が初めに感じたのは憐れみです。鳥も自分の雛や卵を大切にして、それを奪おうとする敵には激しく攻撃をします。母鳥と雛を目の前で一緒に取るのはとても残酷ですので、せめて母鳥を逃がすように感じました。そのような憐れみのある優しい心を持つことによって幸せになり、長く生きることができると感じました。

その他の理由として母鳥を逃がしておけば、また卵を産むので、食料不足を招かないためにそうするのだと説明する注解書もあります。全てを取り尽くすべきではないということです。確かにそうしますと、幸せになり、長く生きることができます。

三つ目は、新しい家を建てるときは、屋上に手すりを設けます。そうすれば、屋上から人が落ちても、あなたが自分の家のことで血を流した責任を負うことはありません。これは責任を負わないためというよりも、人が落ちたりすることがないようにする思い遣りであり、心遣いでもあります。

これらの規定を読んで感じることは、これは中心聖句の、「神のかたちに造られた人は地のあらゆるものを治める」、管理するという、神が人に与えられた役割です。地を治める規定は続きます。

3、種類の違うもの

四つ目は、ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはなりません。少し疑問に感じるかも知れません。農作物では違う種類の物を植えると生育が良くなるコンパニオンプランツというものがあります。また現代の農作物の殆どは、品種改良のために種類の違う物を掛け合わせた交配物になっています。

ただ聖書は農作物を作る知恵を教えるものではなく、霊的な教えの書ですので、「ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはならない。」というのは、霊的、宗教的な意味で異教の民と交わってはいけないという意味です。異教の影響を受けずに、唯一の神だけと交わり、きよさを保ちなさいという意味です。

五つ目は、牛とろばを一緒に耕してはなりません。これは宗教的にきよい動物と汚れた動という意味とも考えられますが、どちらかというと種類の違う動物では大きさや力が違うので釣り合わないという意味と思われます。バランスを考える必要があるということでしょう。

六つ目は、毛糸と亜麻糸を織り合わせた衣服を着てはなりません。これも現代的な感覚で言いますと、多くの衣服は色々な材料の特性を生かすために混ぜ合わせています。高価な物はカシミヤやウール100%等もありますが。これも霊的な意味として異教の要素を取り入れて混ぜてはならないという意味です。

七つ目は、房を作って、身にまとう衣服の裾の四隅に付けます。これは民数記15:38、39に書かれていて、青いより糸を付けるものです。それは房を見て、主の戒めをすべて思い起こし、行うためのものです。あらゆることを用いて自分は神の民であるということを覚え、神の民はどのような存在であるのかを覚えることは大切なことです。

4、安息日

現在、茂原キリスト教会ではクリスチャンとしての信条を大切にするために、礼拝の中で毎週、使徒信条を告白しています。しかし来年からは使徒信条は、第1、3、5週に告白し、2週は主の祈り、4週は十戒とすることにしました。

これは使徒信条を軽視するのではなく、全てのキリスト教会で3要文として大切にしている3つ全てを告白し、祈り、バランスの取れた正しい信仰を身に付けるためです。クリスチャンは衣服の裾の四隅に房は付けませんので、その代わりに礼拝で告白し祈ります。

教団教派によって3要文の扱いに違いはありますが、その内容を否定するものはキリスト教ではなく異端になります。先週の日曜日の午後に行われました拡大会議の中で安息日について誤解が見られましたので、そのことも大切なことで見て見ない振りをしてはなりませんので簡単にお話します。

神は創世記1章でこの世を六日間で造られて、第七の日に休まれました。「安息」の言葉の元の意味は「休む」です。そして私たち人間は今日の中心聖句にありますように、神によって神のかたちに造られました。神のかたちに造られた人間は、神と同じリズムで第七の日を休み聖別します。これは永遠に変わらない契約です。

主イエスはマタイ5:17で、「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」と言われました。そして律法の中心である十戒を当時の人たちが考えていたようなただ形式的に守るのではなく、十戒の本当の御心を詳しく教えてくださいました。

具体的に、第5戒の「父と母を敬え」について、ファリサイ派や律法学者たちが勝手に作っていた、「私にお求めのものは、神への供え物なのです」という者は、父を敬わなくてよいという決まりは、全くの間違いです(マタイ15:5、6)。

第6戒の「殺すな」は実際には殺さなくても、きょうだいに腹を立てたり、馬鹿や愚か者と言う者は裁きを受けます(マタイ5:22)。第7戒の「姦淫するな」は実際に姦淫しなくても、情欲を抱いて女を見る者は心の中で姦淫を犯すことです(マタイ5:28)。

しかしこのようなことは人の努力で出来ることではありません。主イエスを信じて聖霊の力を頂いて初めて、そのような者へと変えられて行くものです。十戒は旧約時代は人間の努力によって行うものでしたが、新約時代になっては、聖霊に満たされる者が行うガイドラインのようなものとなりました。しかしその重要性は全く変わりありません。

そのような中で安息日については、主イエスはマタイ12:8で、「人の子は安息日の主なのである。」と言われました。もし安息日を否定するならそれは安息日の主であるイエス・キリストを否定することであり、それは聖書に基づく考えではありませんし、もはやキリスト教ではあり得ません。信仰は自分がどのように考えるかではなく、聖書がどのように語っているかを聴いてそれを信じることです。

しかし残念なことにキリスト教の牧師を名乗る知名度のある人が安息日は廃止されたと言っていますのでお気を付けください。また聖書のことを良く知らない人がそのような人の書籍等を人に勧めたりしますのでご注意ください。

安息日については何曜日なのかという疑問もあるかも知れません。旧約聖書、またユダヤ人にとって安息日は土曜日です。クリスチャンは主イエスが十字架の死から日曜日に復活され、その後も度々、弟子たちに日曜日に現れたことから、主イエスの復活を記念して、日曜日を主の日、主日として礼拝を行うようになりました。

教団教派によって、主日と安息日を分けて考えるところと同一視するところがあります。ただ安息日は七日目に仕事を休んで聖別する日ですので曜日に拘る必要は無いと思います。東日本大震災の年に私は夏季伝道で愛知県に遣わされましたが、当時は電気使用量の調整でトヨタグループの会社は木曜日が定休日でした。

そこで礼拝は日曜日とトヨタグループの社員のために木曜日に行いましたので、その時は木曜日も安息日でした。また牧師にとっては仕事を休む安息日は月曜日ですので、私は緊急の用事以外は月曜日は仕事を休むようにしています。

人間は神のかたちに造られて、地のあらゆるものを治める役割を与えられました。聖霊によって御心を教えていただき、御心に従って地を治めさせていただきましょう。

5、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。私たち人間は神のかたちに造られ、地のあらゆるものを治める役割を与えられました。どうぞ私たちに地を治める知恵と力をお与えください。いつの時代にもあなたの御言葉を捻じ曲げて、人々を惑わそうとする者がいます。聖霊によって私たち一人一人をお守りくださり、あなたの御言葉を信じて歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。