「エジプトからの脱出」
2023年6月18日礼拝説教
申命記 16章1~12節
主の御名を賛美します。
1、出エジプト
16章は小見出しにありますように三大祝祭日の記事です。祭りを行うことは神が定めて命じられました。祭りは神の恵み、御業を人間が覚えて神に感謝し、子孫に伝えて行くためです。12章から色々な規定がありましたが、言葉だけですと忘れてしまい易いものです。そこで色々な規定を覚えるためにも祭りを記念として祝います。
今日の聖書箇所には、「エジプト」という言葉が5回、使われて強調されています。イスラエルにとってエジプトという国はどのようなものなのでしょうか。このときから約430年前に飢饉があってイスラエルはカナンの地で苦しんでいました。
イスラエル人のヨセフは、初めは奴隷としてエジプトに売られましたが後で宰相となり、イスラエルはヨセフを頼ってエジプトに移住しました。イスラエルは初めは宰相の家族として丁重に扱われました。しかし、ヨセフのことを知らない新しいエジプトの王の時代になって、イスラエルの民の数が増えて強くなったことを恐れたエジプトはイスラエルを奴隷にして虐待するようになりました。
奴隷の苦しみを訴えるイスラエルの声を聞かれた神である主はイスラエルをエジプトから導き出されました。イスラエルがエジプトから導き出されたのはアビブの月です。「アビブ」は、「大麦の穂、穂のなる季節」という意味で、大麦の収穫が始まるときで私たちの使う太陽暦では3~4月です。主はイスラエルを導き出されるときにも、祭りの時期のことも含めて最善のときに御業をなされておられます。
イスラエルをエジプトから導き出すために、エジプトには10の災いが下され、10番目の災いとしてエジプト人の初子が打たれました。イスラエルは、1歳の雄の小羊を屠り、その血を家の入り口の2本の柱と鴨居に塗ることによって主は過ぎ越されました。主がイスラエルを過ぎ越されて、エジプトから導き出されたことを記念して毎年、主の過越祭を祝いなさいと命じられます。
2、過越祭
過越祭は具体的にはどのように祝うのでしょうか。まずは場所についてです。主がその名を置くために選ぶ場所です。主がイスラエルに与える町ではだめです。主イエスはこの過越祭の規定を守って祝うために過越祭の前にエルサレムに入城されました。
次に過越祭を始める時間です。アビブの月の14日の夕方、日の沈む頃、あなたがエジプトを出た時刻です。エジプトの地を出た日を、生涯にわたって思い起こす必要がありますので、正確な時間に行います。食べ物はここでは二つです。一つ目は動物で、羊、あるいは牛を過越のいけにえとして主に屠ります。
今日の聖書箇所は細かい性格の人は色々な戸惑いを覚えるかも知れません。それは初めに過越のことが書かれた出エジプト記12章の内容とは少し違いがあるからです。違いのある正確な理由は分かりませんが、考えられることは出エジプト記12章は実際の過越の出来事であり、今日の個所は記念としての過越祭を祝うための内容ということです。
また実際の過越は40年前のことであり何らかの事情の変化もあるのかも知れません。ここで屠る動物は「羊、あるいは牛」ですが、出エジプト12:5では、「羊か山羊」でした。この頃には牛が増えていたためなのかも知れません。
料理方法は、出エジプト12:9では、「生のまま、または水で煮て食べてはならない。火で焼いて」とありましたが、今日の個所では、「煮て」とあります。「煮て」という言葉は、「料理する」という意味の言葉ですが、「煮て」の意味と考えられます。これは血を食べてはならないために、煮て血抜きをする意味があるのかは分かりません。
因みに不味いと評判の英国料理ですが、唯一の評判の良いのがローストビーフです。英国では伝統的に日曜日の午後にサンデーローストという食事のメインディッシュとしてローストビーフを食べます。サンデーローストというのは、かつて英国貴族が日曜日に牛を一頭屠ってローストビーフを焼いて食べた習慣です。過越祭から来ているものと思われます。
ただ過越祭の肉は朝まで残しておいてはなりません。しかし英国では日曜日に丸ごと一頭を屠った牛は一日では食べ切れませんので、平日に食べていました。
その肉と共に種なしパンを食べます。種なしパンは、パン種を入れない発酵させていないパンです。それはイスラエルがエジプトの地を急いで出たからで、発酵させる時間も無かったからです。そのために除酵祭と呼ばれます。7日間の除酵祭の初日は過越祭と呼ばれます。
除酵祭の7日間はイスラエルの領地のどこにもパン種があってはなりません。種なしパンは苦しみのパン、悩みのパンという意味で、エジプトで奴隷であった苦しみを思い起こすためです。7日間は種なしパンを食べて、徹底して苦しみを思い起こします。
3、エジプトからの脱出
イスラエルは40年前迄はエジプトで奴隷であり苦しんでいました。それは現代を生きる私たちにどのような関りがあるのでしょうか。私はエジプトに行ったことはありません。ここにおられる方々も旅行で行ったことのある方もおられるかも知れませんが少数で、殆どの方は行かれたことが無いのではないでしょうか。
この当時のエジプトは発展していました。世界4大文明の一つのエジプト文明です。しかし文明が発展するところでは、同時に残念ながら風紀も乱れて行って、偶像礼拝が蔓延って罪が蔓延します。聖書でエジプトは罪を象徴します。しかしこの罪はエジプトだけの問題ではありません。
罪の問題はエジプトだけではなく、どこの国でも必ず起こって来ることです。また罪は自分の外側にある問題だけではなく、一人一人の人間の内側から起こって来ることでもあります。人間の罪については、ローマ1:18からに詳しく書かれていますが、その初めは神を神と認めないことから始まります。
その結果はローマ1:28~31となります。すべての人は罪の問題に必ず苦しむことになります。私自身もそうでした。中学、高校の頃はどうして自分は自分で決めたことを出来ないのだろうかと悩んでいました。毎日のスケジュールを決めて、勉強の時間、運動の時間と決めても守れませんでした。
自分は自分で決めたことをすることの出来ないだめな人間なのだろうかと悩んでいました。それは大学に入っても同じでした。同じような思いからか、同級生の中には哲学に興味を持つ友人もいましたし、宗教に行く人もいました。私は人間の理性を信じたい思いを持ちつつ、その限界を感じつつ悩んでいました。
英国に行ったのは、その問題を解決する何かヒントを得たいという思いでした。英国で教会に初めて通うようになって、罪のエジプトからの脱出方法を知りました。私たちすべての人が罪のエジプトから脱出するために過越の小羊として主イエスが十字架で屠られました。
そして三日目に十字架の死から甦られて復活されました。主イエスを信じる者は主イエスの復活の新しい命に与り、罪から解放されます。しかし人間は罪深い性質を持っています。エジプトを脱出したイスラエルも荒れ野で少し辛いことがあるとエジプトは良かったと呟いて直ぐにエジプトに帰ろうとしました。
私たちが罪のエジプトから脱出するためには、主イエスの十字架という尊いいけにえが献げられています。そのことを主の過越しである主イエスの十字架と復活を覚えるイースター、復活祭にしっかりと覚えたいと思います。
今年のイースターは4月9日でしたが、イースターは主イエスの十字架の死からの復活を祝うときです。旧約聖書的にはイースターは種なしパン、苦しみのパンを食べて、罪のエジプトの地を出た日を、生涯にわたって思い起こすときです。出エジプト12:8では、「種なしパンに苦菜を添えて食べ」てエジプトでの苦い経験を思い起こします。
罪のエジプトを出たと言ってもエジプトから完全に解放されるのは難しいことです。罪の追っ手がエジプトからやって来ます。また自分は罪のエジプトから解放されたと思っても、周りはすべて罪のエジプト人かも知れません。エジプトとは全く関りが無いという人はいないでしょう。イースターだけではなく主の過越しを記念する毎月の聖餐式でもエジプトでのことを思い起こしましょう。
因みに社長がクリスチャンで有名な山崎パンが毎年の春に、山崎春のパン祭りを行っていますが、売っているパンは種なしパンではありませんので過越祭とは直接は関係は無さそうです。しかし春のパン祭りではフランス製の白い皿を毎年配るのは何かイースターと関係がありそうな気もします。
4、7週祭
除酵祭から7週間後は7週祭を祝います。除酵祭は大麦畑に鎌を入れる時から始めます。そして7週祭は小麦畑に鎌を入れる時ですので両方とも元々は収穫を祝う収穫祭です。与えられた収穫を感謝して、主の祝福に応じて、あなたが献げることのできる、手ずからの自発の献げ物を献げなさいと命じます。主の祝福を受けるときに、自発的に喜んで献げる者でありたいものです。
この収穫祭に合わせて、旧約では除酵祭の初日に主が過越されイスラエルはエジプトを脱出しました。そして7週祭のときに十戒が授けられたと言われています。それが新約では、主の過越祭に主イエスがいけにえの小羊となって屠られました。
それはすべての人を罪の地エジプトから導き出すためです。そして3日目に甦られて40日後に天に帰られました。そして7週祭はもう一人の弁護者として聖霊が遣わされたペンテコステです。
こうしてイスラエルは、息子や娘、男女の奴隷、町の中にいるレビ人、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦と共に、あなたの神、主の前、すなわちあなたの神、主がその名を置くために選ぶ場所で楽しみなさいと言われます。
7週祭、ペンテコステは祝福に応じて、自発の献げ物を献げて、身分に関係なくすべての人が楽しむときです。茂原教会では今年、ペンテコステの5月28日にペンテコステ・コンサートを行って皆で楽しみました。とても聖書的な過ごし方だと思いますので、今後も続けていければと思います。
そして7週祭はただ楽しんで終わりではありません。罪のエジプトで奴隷であったことを思い起こすときです。自分は罪のエジプトから解放されて良かったで終わるのではなくて、罪の奴隷であることがどれ程に辛いことであるのかを思い出します。そしてその苦しみから主の恵みの過越しによって解放されたことを思い起こして感謝して楽しみます。
それは救ってくださる主の掟を守り行うことに繋がります。またそれは今、苦しんでいる人のことを覚えるためです。罪の奴隷の苦しさを思い起こすことによって、今、罪の奴隷である人がどんなに辛い思いをしているのかを覚えるためです。
そしてそのことを自分の力で行うのではありません。7週祭のペンテコステには、もう一人の弁護者の聖霊が遣わされ、聖霊がすべてのことを思い起こさせてくださり、十戒を含めた掟を守り行う力を与えてくださいますので、有難いことです。
今年度もこの後にも色々な行事等もあります。このときの三大祝祭日の2つであるイースターとペンテコステ等の行事を過ごすときには、その祭りの意味を味わいつつ、信仰を深める機会として楽しんで行きましょう。
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。イスラエルは奴隷の地であるエジプトで奴隷の苦しみの中にいました。それは罪の奴隷に苦しむ私たちと同じです。そのような苦しみを憐れみ、あなたは過ぎ越しの小羊である主イエスの十字架の贖いによってイスラエルを救い、私たちを救ってくださいますから有難うございます。
更に7週祭には十戒を授け、十戒を守り行うために聖霊を遣わしてくださいましたから有難うございます。すべての人をこの恵みに与らせてください。そして救われた者も聖霊の力によって、この恵みを思い起こし主の掟を守り行う者とさせてください。主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。