「奴隷の贖い」

2023年6月11日礼拝説教  
申命記 15章12~23節

        

主の御名を賛美します。

1、自由の身

主の聖なる民、宝の民としての規定として、先週は7年毎の負債の免除がありました。それは7年毎の安息年には、すべての人があらゆる負債から解放されて、心から安息するためです。これは借りている人のためだけのことではなくて、貸している人も貸していることを忘れて心をリセットするためです。

今日はその続きの内容になります。負債が7年毎に免除されるなら奴隷はどのようになるのでしょうか。「もしあなたのもとに、ヘブライ人の男か女が売られて来たら、6年間あなたに仕える。」ことになります。同胞のヘブライ人が貧しくなって身売りをするなら買うことは出来ます。

しかし、「奴隷の仕事をさせてはならず、雇人か滞在者のように、あなたの下で共に住まわせなさい。」(レビ25:39)とあります。負債の免除は負債の発生からの年数に関わらずに、負債免除の年になったら一斉に皆の負債が免除されます。

しかし6年間あなたに仕えるということは、負債の免除とは違って、売られて来た人は1人づつ個別に6年間を数えるようです。しかし、7年目には自由の身としてあなたのもとから去らせなければなりません。7年目には売られて来た身分を免除されて、晴れて自由の身として解放されます。今日の個所には、「自由の身」という言葉が3回使われて強調されています。

売られて来た人を自由の身として去らせるときには、何も持たせずに手ぶらで去らせてはなりません。貧しい者には心を開いて、手を大きく広げて惜しみなく与えます。あなたの羊の群れから、あなたの麦打ち場から、あなたの搾り場から惜しみなく与えます。

そのように惜しみなく与える理由はどのようなことでしょうか。このヘブライ人は貧しさから身売りをして売られては来ましたが、奴隷ではありません。しかしヘブライ人は元々はエジプトの地で、この身売りをした人よりも酷い扱いを受ける奴隷でした。

救われようの無いヘブライ人でしたが、ただ主の恵みによって贖い出されて、奴隷の地であるエジプトから救い出されました。その主の憐れみと恵みを思い出して、自分が与えられたのと同じ恵みを同胞に与えなさいということです。

それは売られて来た人が自由の身となったら直ぐに生活の糧を得られる保証がある訳ではありません。

次の糧を得られるようになるまではある程度の期間があるかも知れませんので、貯えが必要になります。ヘブライ人自身もエジプトを出るときには主の計らいによって、エジプト人から銀や金の飾り物、服を求めました(出エ12:35、36)。

しかしそうは言っても、羊の群れ、麦打ち場、搾り場等の物は自分の大切な財産であるとの思いが過るかも知れません。しかしこれらは自分の1人だけの力では収穫を得られるものではありません。主が祝福してくださって初めて得られるものです。

主が祝福して与えてくださるものは、主の御心のとおりに使う必要があります。主の御心に従うことが更なる祝福に繋がります。「それゆえ、私は今日この言葉をあなたに命じているのである。」と言います。

前にもお話したことがあると思いますが、日本で洗礼を受ける日本人の数と海外で洗礼を受ける日本人の数は大体同じ位だと言われます。割合からいうと海外で洗礼を受ける日本人の数が圧倒的に高いことになります。私は日本で受洗していますが信仰は海外で持ちましたので、その気持ちは良く分かります。

海外では言葉も習慣も違いますので殆どの人がとても心細い思いをします。しかし海外で出会う日本人のクリスチャンは、異国での同胞意識が働くこともあってかとても親切です。気軽に自宅に招いて日本食をご馳走してくれたりします。

また海外に行く時には何でもかんでも荷物を全部持って行く訳には行きませんので色々な物が不足します。また逆に日本に帰る人は全部の荷物を持ち帰るのも大変ですので、日本に帰る人が色々な物を知り合いの日本人に置いて帰ることが多いので、それらの物を譲っていただいたりしてとても助かりました。

私はあるクリスチャンの家庭に1か月間、居候をさせていただいたこともあります。本当に天使のように感じました。自分が受けた祝福を他の人に与えることの大切さを教えられます。日本で教会に誘っても来てくれる人は少ないですが、海外で日本人を日本人教会に誘って断られたことは一度も無いと思います。日本語で話が出来て日本食が食べれると言えば皆、教会に来ました。クリスチャンの1人1人がキリストの香りを放つことが最大の伝道であると思います。

2、祝福

7年目の自由の身となる人が、「あなたとその家族を愛し、あなたと共にいることを望む」場合の「その家族」とは、どの家族を指しているのでしょうか。普通に考えますと主人の家族を指しているように感じます。新改訳は、「あなたの家族」と訳しています。

しかし出エ21:4には、「もし主人が彼に女を与え、彼女が彼との間に息子または娘を産んだなら、その女と子どもたちは主人のものであり、彼は一人で去らなければならない。」とあります。そうするとその家族は、自由の身となる人自身の家族である妻と子どもたちを指しているようです。

そして共にいることを望み、「私はあなたのもとを離れません」と言うならば、錐を取り、彼の耳を入り口の扉につけて刺し通します。聖書で、「耳」は従順を表します。日本語でも「耳を貸す」とは、「人の言うことを聞く」従順を表します。「入り口の扉」は家の象徴でしょうか。

錐で耳を入り口の扉につけて刺し通すという象徴的な儀式を通して、彼は生涯あなたの奴隷となります。女奴隷の場合も同じです。「刺し通す」という動詞の英語はpiercingです。現代ではピアスをしている人が従順かというと特には関係はなさそうです。単なるファッションでしょうか。

6年間仕え終わった者を、自由の身として去らせるときは、厳しくしてはなりません。その理由は、彼は6年間、雇い人の賃金の倍も働いて、あなたに仕えたからです。この文章はどのような意味でしょうか。普通に読むと、売られてきた人は雇い人の2倍働いたように感じます。

しかしそれは2倍の時間を働いたという意味ではないようです。雇い人の契約期間はイザヤ16:14で3年です。つまり6年間働いた人は普通の雇い人の年季3年の倍の期間を働いたという意味です。そのように自分のために長期間仕えた人には惜しみなく与えなさいと命じます。

そうすれば、あなたの神、主はあなたが行うすべてのことを祝福されます。ガラテヤ6:7b、8は、「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」と言います。いつも祝福を蒔いて、祝福を刈り取る者でありたいものです。

3、初子

奴隷の解放の記事の後に初子の規定が来ると、何か唐突な感じがしますが聴かせていただきましょう。「牛や羊の雄の初子はすべて、主のために聖別します。」 聖別するというのは、聖なるものとして他のものとは別けることです。牛は普通は働かせるためのものですが、初子は働かせてはなりません。羊は毛を取るためのものですが、初子は毛を刈ってはなりません。

ではどうするかと言いますと、あなたの神、主の前で、年ごとに主が選ぶ場所で、あなたと家族でそれを食べます。それは主に献げるということです。主に献げるものは聖なるものですので、完全で最高のものである必要があります。

それで、もし初子が足や目にひどい傷を負っている場合は、主にいけにえとして献げてはなりません。主への献げ物にはなりませんが、その肉はガゼルや鹿と同じように、儀式的な意味で清くない者も清い者も町で食べられます。ただし、血は命ですので食べてはならず、水のように地に注ぎ出さなければなりません。

4、奴隷の贖い

初子の規定は分かりますが、この規定が奴隷の解放の記事の直ぐ後に来るのはどのような意味でしょうか。すべての人は初めの人であるアダムとエバが神が禁じられた善悪の知識の実を食べる原罪の罪の中にいます。そして罪に支配される罪の奴隷となっています。

それはイスラエルがエジプトで奴隷となって苦しんでいるのと同じ状態でした。自分の力でそこから抜け出ることは出来ません。次の16:1を見ますと過越祭の記事があります。イスラエルがエジプトの地の奴隷から贖い出されるためには、10の災いが下され、10番目の災いとしてエジプト人の初子が打たれました。

そしてイスラエルが打たれずにエジプトを脱出するためには、1歳の雄の小羊の血を家の入り口の柱と鴨居に塗る必要がありました。旧約聖書にイエス・キリストの名前は1度も出て来ません。しかし主イエスが過越しの小羊として屠られ、それによって罪人が罪の奴隷の象徴の地であるエジプトから贖い出されることの、雛型、モデルとしてイスラエルはエジプトを脱出しました。

それは主イエスがヨハネ5:39で、「(旧約)聖書は私について証しをするものだ。」と言われたとおりです。神のお独り子であり初子である主イエスは、聖別された完全なるいけにえとして献げられることは天地の造られる前から決まっていたことなのでしょう。

血は命ですので、動物の血は食べてはなりませんが、主イエスの血は信じる者に永遠の命を与える契約の血ですので、感謝していただきます。主イエスは私たちを罪の奴隷から贖い出すために初子の小羊として主に献げられました。

クリスチャンは主イエスの十字架という尊い贖いによって罪の奴隷から解放される者です。そしてただ恵みによって主の祝福に生きるものです。感謝して救いに与り永遠の命に与りましょう。そして自分の受けた祝福を他の人々にも与えましょう。それは更なる祝福に繋がって行きます。

5、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。イスラエルは奴隷の地であるエジプトで苦しんでいました。それは罪に苦しむ私たちと同じようです。そのような苦しみを憐れみ、あなたは小羊である主イエスの十字架による贖いによってイスラエルを救い、私たちを救ってくださいますから有難うございます。

聖霊の働きによって、この恵みに与らせてください。そしていつもこの恵みと祝福を覚えて、他の人に祝福を与える者として、あなたを証しさせてください。主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。