「愛は多くの罪を覆う」

2024年7月14日 礼拝説教
ペトロの手紙一 4章7~11節                     錦織寛師(東京聖書学院院長、東京中央教会牧師)
 
 イエスさまの12弟子の1人だったペトロが小アジア、今で言うトルコにある主イエスを信じる諸教会に手紙を書いています。
 ペトロは、「万物の終わりが近づいています」と言います。ペトロがこの手紙を書いている時代にも多くの迫害があり、また、忍び込む異端がありました。ペトロは生まれたばかりの諸教会のことを本当に心配しています。だから目を覚まして悪魔につけいる隙を与えないようにということがあります。ただお互いの間においては、何をするにまさって、まず第一に、「互いに心から愛し合いなさい」と聖書は言うのです。直訳すると「互いに熱い愛を持ちなさい」ということになります。

1 心から愛し合うということ
私たちは、愛し合うということがとても分かりづらい時代の中に生きています。お互いに好きで、信頼できる関係にあることを愛し合うと普通言うのかもしれません。ただ、愛し合うということは、お互いに仕え合う、ということです。ここでも、「愛し合う」と言葉は誤解しやすいのですが、それは私が愛したよ、でも私がこれだけよくしてあげたのだから、あなたも愛し返してね・・・愛し合うようと言うのだから・・・ということではありません。確かに、愛は相手にも求めるものでしょう。信じて、期待しているから、それがその通りに戻ってこないときに傷つきます。でも同時に愛するとは、喜んで犠牲を払うこと、仕えることです。こんなに愛しているのだから、こんなによくしてあげているのだから、あなたからも同じくらいは返してもらわないと割に合わない・・・というようなものではないのです。そもそも愛とは計算に合わない、割に合わないものなのです。それは犠牲を払い、仕えるのだといいました。でも愛するというのは、こんなに犠牲を払っている、とは言わない。相手を信頼しているけれども、見返りは求めない。そもそも見返り以上のものを自分は得ていると考えている。だからもっとお返しをしたい、それが愛するということなのです。

2 多くの罪を覆う愛
ここでペトロは「愛は多くの罪を覆う」と言います。私たちはここで?と思います。罪を覆ってしまっていいのか。罪は罪としてきちんと向き合うことが大切ではないか。そのとおりです。自分の罪に対して、どうぞそのように向き合い、きちんと悔い改めてください。罪を覆うということは、罪をうやむやにするとか、見て見ぬ振りをするとか、ということではありません。
 

 このようなことはないでしょうか。誰かが罪を犯してしまう。そのことが明るみに出て、その人は深い悔い改めに導かれる。そして周りも、ずっと「あの人さ~こういうことあったんだって~」とずっと噂し続ける。そのような目で見る。なんとなくいづらくなって、罪を悔い改めた人も教会を変わってしまう、または教会に行けなくなってしまう。でも本来、赦すとは忘れることです。
 でも少しの罪だったら忘れてあげてもいいけど、何度も繰り返す人は、またはいろいろな課題をたくさん抱えている人は赦しきれない・・・でもここでは「愛は『多くの』罪を覆う」と言います。多くの罪があるのです。でも、それを覆う。覆うというと何か、隠すようなイメージがあります。ただ、ここでペトロが、「愛は多くの罪を覆う」と言ったときに、愛する人は、その相手の罪をうやむやにしたり、見て見ぬ振りをするというのではない。罪を罪として知っている。でも同時にその人の罪や欠点をあげつらうのでもなく、その人の罪を負っていく。英語でもカバーすると言うときに、カバーと言う言葉の中には、その人の働きのある部分を担うという意味もありますよね。「お前悪いなあ、とんでもないなあ、信じられない」というのではなく、「あなたも一緒に負う」、まさにそれはイエスさまが私たちのためにしてくださったことです。そして私たちは、主を信じるときに、お互いにお互いの欠点や罪を負い合うという交わりがそこに生まれてくる。罪のない人はいない。私の罪を多くの兄弟姉妹が負ってくれている、そして私も黙って、誰かの負い目を負う。
 この人はこういうしょうもないことがあって、この人はこういう罪深い人なんだと相手を指さして責め合うのではなく、そういう欠点やしょうもない罪深さを負っている人をそのままで、つまり、ここを直したら愛してあげるよとか、言うのではなく、罪は罪とし、欠点は欠点として受け止めながら、でもその人の罪を、弱さを、欠点を負うのだ。暴くのではなく、公開処刑するのではなく、その人と寄り添いながら、仕えていきなさい。祈りなさい、自分に与えられている賜物を用いて、仕えなさい。賜物をひけらかし、みんなにすごいねえ!って言われることを喜びとして生きるというよりも、その賜物を用いて仕える、そのことを通して神様があがめられることを何よりの喜びとしていく・・・それが万物の終わりにおける、私たちの生き方だと、ペトロは語るのです。
 イエスさまの愛を知らせていただきましょう。イエスさまの愛で心をいっぱいにしていただきましょう。心から愛し合い、仕え合う、お互いでありたいと思います。