「占領すべき土地」

2026年9月27日礼拝式説教  
ヨシュア記 13章1~33節

主の御名を賛美します。

1、占領すべき土地

ヨシュア記は全体で24章で、先週の12章で丁度前半の約束の地の占領の内容が終わり、今日から後半の相続地の割り当ての内容となります。ヨシュアは多くの日を重ねて年を取りました。ヨシュアは若いイメージがありますが、誰でも時間が経てば年を取っていきます。

このときのヨシュアの正確な年齢は分かりません。24:29にヨシュアの召天の年齢は110歳とあります。古代ユダヤ人歴史家のヨセフォスによりますと、ヨシュアがモーセの後継者になったときは85歳と言います。14:10からヨシュアがカナンの地の占領に要した年数は約7年と考えられます。それらから計算しますとヨシュアのこのときの年齢は、85+7=92歳位と考えられます。

主はそのようなヨシュアに、「あなたは多くの日を重ねて年を取ったが、占領すべき土地はたくさん残っている」と現在の事実をそのまま語られます。しかし11:23で、「ヨシュアはこうして、すべて主がモーセに告げられたとおり、この地のすべてを獲得した」のではなかったのかと思うかも知れません。

これは誇張的な表現で、広い範囲で多くの土地を獲得しましたが、占領すべき土地は残っていて歯抜けの状態でした。これだけ広い範囲で、道等も十分に整備されていない土地を全部漏れなく獲得するのは大変なことです。

そして「残っている土地は次のとおりである」と言われて、2~6節で具体的な地名を上げられます。大体、ヨルダン川の西側の土地を南から北への順番となっています。ペリシテ人はパレスチナの地名の由来になりました。

占領すべき、残っている地名を一つづつ上げられて、ヨシュアはそれをどのような思いで聞いたでしょうか。ヨシュアは自分が遣り残してしまったという思いにさせられたでしょうか。しかし主は、「私は彼らをイスラエルの人々の前から追い払う」と約束されます。

ヨシュアには、「あなたはただ、私が命じたとおり、くじを引いて、それをイスラエルの相続地として分けなさい」命じられます。これは占領すべき土地のことは、後はもう主に任せて、あなたは占領した土地を分けることに取り掛かりなさいということです。

このことには3つの意味が考えられます。一つ目は、占領を行うためには戦いが必要です。ヨシュアは年を取ったので、追い払うことは主がされますが、実際の戦いは若い人たちにもう任せないということです。

二つ目は、占領は若い力でも行うことができます。しかし相続地を分けることは、くじによるとはいえ、権威と知恵が必要です。現代においても遺産相続の分割は大きな揉め事になり易いものです。リーダーでるヨシュアが生きている内に行う方が賢明です。

三つ目は、ルベン族、ガド族、マナセ族の半数は、ヨルダン川の東側に領地を得ました。しかし彼らはヨルダン川の西側のカナンの地の占領が終わるまで、皆の前に立って進み、家には戻りませんと言いました(民数記32:17、18)。しかしそれから約7年が過ぎています。彼らは妻や子どもたちを残して来ていますので、早く戻してあげる必要があります。

2、ヨルダン川の東側

主は、「さあ今、この地を九つの部族とマナセ族の半数に相続地として割り当てなさい」とヨルダン川の西側の分割を命じられます。しかし話はヨルダン川の東側に戻り、初めに東側全体の話をします。アモリ人の王シホンとバシャンの王オグのことがまた出て来ます。

ヨシュアにとってこの二人の王のことがとても思い出深かったのでしょう。そしてそこから救い出してくださった主の計らいが忘れられず何度も出て来るのでしょう。しかし、イスラエルの人々はゲシュル人とマアカ人を追い払わなかったので、ゲシュル人とマアカ人はイスラエルの中に住み着き、今日に至っています。

レビ族には相続地が与えられず、主への火による献げ物が相続分なりました。レビ族についての詳しいことは21章にあります。レビ族の相続地が無いこともあり、ヤコブが愛したヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムをヤコブの養子にして(創世記48:5)、それぞれに相続地を与えます。

ヨルダン川の東側は既にモーセが相続地を与えていました。モーセがルベンの部族、その諸氏族に分け与えた相続地は、主にアモリ人の王シホンがヘシュボンで治めていた王国です。21節にはシホンの王国の全土とありますが、27節でガドの相続地はシホンの王国の残りの部分とありますので、合わせて読む必要があります。

相続地を分け与える話の中で、ヨシュアは占い師バラムの話を入れます。ヨシュアに取って、余程、印象深いのか、大切なことなのでイスラエルに繰り返し語る必要があると思ったのかも知れません。

バラムは評価の分かれる人物です。

モアブの王バラクからイスラエルを呪えと言われましたが、主が授けられたことだけを告げるべきと言い、イスラエルを祝福しました。しかし、バラムはミデヤン人の娘たちを唆してイスラエルに背信の罪を犯させました(民数記31:16)。このような人物に十分気を付けなさいということでしょう。

ガド族の相続地はアンモン人の地の半分とシホンの王国の残りの部分です。マナセ族の半数の相続地はバシャンの王オグの全土を中心とする地域です。ところでこの二部族半の人たちはなぜヨルダン川の東側に相続地を得たのでしょうか。

表面的には、彼らは多くの家畜を持っていて、ヨルダン川の東側が家畜を飼うのに適した場所であったので、彼らから申し出て、その申し出が受け入れられました(民数記32章)。しかし民数記32章のときにも少しお話しましたが、それには少し事情があるように思われます。

ルベン族、ガド族、マナセ族のそれぞれの族長であるルベン、ガド、マナセは同じヤコブの子どもですが、それぞれ母親が違い、それぞれの母親にとっての長男です。この当時の長男の権利は現代より大きいものでした。しかしこの三人は長男の権利を失う等してプライドも失っていました。

ルベンは正妻レアの長男であると共に12人の息子の長男です。しかし父の寝床を汚したために祝福を失いました。民数記の2回の人口調査では三千人近く減りました。ガドはレアの召し使いジルパの長男です。ガドについては何も書かれていませんが、人口調査では五千人近く減りました。

マナセはヨセフの長男ですが、お祖父さんのヤコブが召天される前に祝福のお祈りをするときに、右手をマナセではなく、弟の方が大きくなると預言してエフライムに置いて祝福しました。それぞれに長男の部族でありながら長男の権利を失っていました。

この二部族半は荒れ野で宿営するときに隣り合っていました。そのときに色々と話し合って、私たちはイスラエルの他の人たちとは分かれて、ヨルダン川の東側で家畜を飼ってのんびりと暮らそうというような話があったのかも知れません。

若しくは家畜を殖やして、長男の部族として一旗揚げて、皆を見返してやるという思いもあったのかも知れません。ただヨルダン川の東側は豊かな土地かも知れませんが、豊かな土地は皆が欲しがるでしょうし、その土地の北側、南側、特に東側から敵が攻めて来る危険があります。

3、現代への霊的な意味

この13章は現代に生きる私たちへどのような霊的な意味を持つのでしょうか。主は、「占領すべき土地はたくさん残っている」と言われますが、私たちが「占領すべき土地」とはどのようなものでしょうか。「占領すべき土地」は主が私たちに与えると約束されましたが、私たちがまだ足の裏で踏んで占領をしていない領域です。

これは3つ位の領域に分けて考えることができるでしょうか。一つ目は、それぞれの個人の領域です。例えば、ある人は日曜日は占領して毎週、教会の礼拝式に行っています。しかし、主に「占領すべき土地はたくさん残っている」と言われますと、自分の中の思いや行動に、確かに「占領すべき土地はたくさん残っている」と言わざるを得ません。

二つ目は、自分の外側の身近な領域です。これはそれが占領すべき土地かどうかの問題ではなく、自分が占領したいと思っているけれどできていないことです。例えば、ある人は自分の家にある神棚や仏壇、また寺にある墓を取り除きたいと思っているけれど、家族や親戚等との関係を考えて、今は時ではないかも知れません。また家族や親戚、友人等に伝道したいと思いつつもできていないこともあるかも知れません。

三つ目は、自分の手が直接に届く範囲を超えるような大きなことです。海外伝道や国内でも遠い地域の伝道等です。これらに対してどのように対応をすれば良いのでしょうか。若い人でしたら時間もありますのでじっくりと考えて取り組めば良いと思います。

しかしこのときのヨシュアのように約90歳とまではいかなくても、高齢の場合はどうでしょうか。主は高齢のヨシュアに対して、「占領すべき土地はたくさん残っている」と事実を述べられつつも、それを自分で占領しなさいと言われるのではなく、「私は彼らをイスラエルの人々の前から追い払う」と約束されます。

これは有難い約束です。私たちは自分でも、残っていることは自分の手で片を付けて、次の代には残さずに解決しておきたいと思うものです。また自分のあまり良くない習慣等が後の人に影響を与えてしまっていると思うこともあるかも知れません。しかし何もかんでも自分で行わなくても良いということです。主が責任を持って解決すべきはしてくださいます。

私たちはできるかぎり後の人には美田を残したいと思うものですが、「子孫に美田を残さず」という言葉があります。美田を残して後の人に苦労を掛けないようにと思うのは自然なことです。しかし美田である財産等を残したために浪費する癖が付いてしまい、反って不幸になってしまうということもあります。

ただ相続地として分けることはしっかりとしておきなさいと言われます。それは揉め事になり易いことだからでしょう。揉め事の種を残さないように、相続地を分けることはしなさいと言われます。後は相続地を分け与えられた者が、敵を追い払ってくださる主に従って、自分たちで行います。

すべてをヨシュアが行うのではなく、相続地を分け与えられた者が、これまでヨシュアが行って来たことを自分たちで行うことによって、主との良い関係を築き、信仰を成長させてゆくことになります。課題が残ることは決して悪いことではないのかも知れません。

しかし、「イスラエルの人々はゲシュル人とマアカ人を追い払わなかったので、ゲシュル人とマアカ人はイスラエルの中に住み着き、今日に至っている」というのは気になる言葉です。似たような言葉は

この後にも何度も出て来ます(15:63、17:12等)。

それも13:13では「追い払わなかったので」が、15:63と17:12では「追い出せなかったので」とあります。「追い出せなかった」理由はそれぞれあるかも知れません。しかし主が「私は追い払う」と言われているときに直ぐに「追い払わない」と「追い出せなく」なってしまうこともあるのかも知れません。

私たちも、「これは本当は良くないけれど、これ位はまあ仕方ない。その内に直せば良いか」と思っていると、後の人はそれが普通だと思ってしまい、直すことが難しくなってしまうこともあるかも知れません。

ヨシュアはそのこともあって、占領すべき土地はたくさん残っていること、その土地はどこであるのかをはっきりと明記したと思われます。それは現状で良いのではなく、主が約束してくださり、与えてくださっている土地は現状よりももっと大きく、自分たちの足の裏で踏んで占領する必要があるためです。

私たち人間は不完全な者であり占領すべき土地はたくさん残っています。しかし主はそのことを責めたりはされません。むしろ逆に、「私はあなたの敵をあなたの前から追い払う」と約束してくださいますから感謝なことです。

後の人の罠にならないためにも、取り除ける悪はできる限り早く取り除く必要があります。しかし完璧である必要はありません。主イエスが十字架に付いてくださっていますので私たちの足りない、できていない罪は赦されます。

それで主にあって安心して、足りない部分はどこであるのか、本来、占領すべき土地はどこであるのかをきちんと後の人に伝えましょう。そうするなら主が先頭に立って問題を取り除き、後の人を祝福へと導いてくださいます。安心してすべてを主の御手に委ねましょう。

4、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。年を取ったヨシュアに主は、占領すべき土地はたくさん残っているが、私が敵を追い払うので、あなたは相続地を分けなさいと命じられます。私たちも自分ができていないこと、占領すべき土地はたくさん残っています。

しかし主はそれらは主が成してくださると約束してくださいますから有難うございます。ただ私たちが自分に与えられた役割を聖霊の力によって果たすことができますようにお導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。