「変わるもの」と「変わらないもの」
山脇望牧師
木々の葉が秋の色に変わり、プロ野球の世界では阪神タイガース、ジャイアンツの監督が変わり、選挙戦の真っ最中、当選する議員の顔ぶれも変わるでしょう。
以前に内閣総理大臣を務めたN氏、高齢であることから隠退をすすめられて、難色を示したと報じられていました。変わることへの抵抗でしょうか。
東京モーターショウがメッセにて開催されています。
40年以上前、興味があって行ったことがあります。車を運転できることは、夢のまた夢でした。でも、見るために行きました。
今日の展示されている車、何と大きく変わっていることでしょう。ガソリンなしでも走る車ができてくる勢いです。これ以上、地球を汚染していったら、生物が生存していくことができなくなるのでは、という危機感もあって、変化してやまない車であります。
外出して電話をかけようと探しても見つからないのが、そのボックスです。
どんどん消えている。個人的に所有して、歩きながら、車を運転しながら、気軽に通話できる時代になってしまいました。
電話機のある所に行くという時代から、人のおる所にあるという時代に変わってしまいました。持っていない人、すなわちフケイタイの人は何ともフに落ちないのです。でも、ある人は言います。「フ」をおとせばいいと・・・。
「行く川の流れは絶えずして・・・」のように、人生、行く川に流されていくかのように思います。
自分を見つめ、まわりを見つめているばかりですと、「変わるもの」ばかりを見ることになります。そして、そのうち目をまわしてしまって、となるでしょう。
それだからこそ、「変わらないもの」に目を注ぎ、目をそらすことがないようにすることは大切です。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」のように、見えないものを見つめることを忘れないことです。
「わたしたちはあなたを年老いるまで変わらず……」と、変わらない「主」ご自身を見つめつつ、「草は枯れ、花はしぼむ、しかしわれわれの神の言葉はとこしえに変わることはない」と、「神の言葉」から心の目をそらすことなく生きることです。
航海中の船は変わることのない羅針盤によって正確に目的地に進んでいきます。絶えず変化してやまない生活にあって、変わらないものを所有していますか、確認いたしましょう。
2003年11月号