もっと大きな賜物と最も優れた道

2021年1月3日
コリントの信徒への手紙一12章28~31節
        
主の御名を賛美します。私は学生の時に、将来のいつの日にか、子どもを育てる時があれば役に立つかも知れないと思って教員の資格を取りました。中学と高校の先生で科目は理科と水産です。その様なこともあって、若い時に塾で教師をしたことがあります。

教師というと茂原教会でも子ども礼拝の教師、また学校の教師をされている、またされていた方もおられます。塾の教師をしていた時に、「教師は5者たれ」という話を聞いて良く覚えています。5者とは、学者、易者、医者、役者、芸者です。

学者は学問の知識を持つこと、易者は試験の傾向を分析して予測すること、医者は生徒の健康状況を診てフォローすること、役者は必要な役割を演じること、芸者は生徒を励ますことです。これは教師に限らずにあらゆる立場の人に必要なことである思います。教師の5者を思いつつ今日の御言を聴かせて頂きましょう。

1、使徒
12章で取り上げている問題は、14:37の「自分は預言者か霊の人である思っている者」が高ぶって、教会の集まりや礼拝の秩序を乱していたことです。しかしその人たちの働きが本当に神の霊によるのであるならば、7節にあるように、全体の益となるために一つの体として調和が取れているはずです。なぜなら教会は一つの体である、からだ。

神は教会の中でいろいろな人をお立てになりました。9つのものを挙げます。ナインです。その第一が使徒です。使徒は特別な使命を帯びて神に遣わされた者です。代表的なのは主イエスの12弟子である12使徒ですが、その他にもパウロ、バルナバ等がいます。

使徒はいろいろな働きをしましたが、その内の一つは福音を宣べ伝える説教です。そして使徒の手紙は新約聖書と成って教会の土台を据える大きな役割を果たしました。そして15:7,8の御言等から、大切な役割を終えた使徒の役職はパウロを最後に閉じられたとプロテスタント教会では考えます。

カトリック教会ではローマ教皇はペトロの後継者として使徒権を継承していると考えます。それによってローマ教皇の言葉は使徒の言葉として聖書と同じ権威を持つことになります。プロテスタント教会での権威は聖書のみですので、初代教会の後は使徒は存在しないと考えます。それは体で言うと、赤ちゃんには初めは乳歯が出て来ますが、乳歯は時が来ると無くなる様なものです。

2、預言者
第二は預言者です。預言者の意味は神の言を預かって語る者です。しかし一般的には旧約聖書の預言者のように、将来に起きる出来事を予告することで、教師の5者の中の易者と思われるかも知れません。
旧約聖書時代の預言者は将来を予告する役割が大きいものでした。それはイスラエルの滅亡と捕囚や捕囚からの帰還、その後のユダヤ人の離散等の大きな出来事がその後に起こることになっていたからです。しかし現在ではこれから世の終わり迄に起こる出来事は聖書の福音書や黙示録に全て預言されています。そして黙示録22:18に「預言に付け加えてはならない」とあります。

しかしクリスチャンの中にも、聖書に書かれていない将来の出来事を予告する予言者で良く当たると言われる人もいるのではないかと思われるかも知れません。しかし聖書には良く当たる預言者というのはいません。預言は神の言を預かって語るものですから、必ず100%出来事となるものです。

良く当たるとか、当たらないというレベルのものではありません。この人の予言的中率は60%を超えていて良く当たるというのは聖書の言う預言者ではありません。また例えもし100%将来の出来事を言い当てたとしても、それが神の霊によるのか、それとも悪い霊によるものなのかの慎重な見極めが必要です。

主イエスはマタイ24:24で「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」と警告されていますので注意が必要です。

またエフェソ2:2の「あなたがたは使徒や預言者から成る土台の上に建てられています」の御言からは、新約聖書のいう使徒と預言者は新約聖書を記すと共にその役割を終えたと考えられます。使徒と預言者はいなくなりましたが、私たちには使徒と預言者が書き記した聖書の御言と、御言を用いて私たちに語る聖霊が与えられています。

私たちには必要な預言は既に与えられていて、必要なことは既に与えられている預言の意味を正しく理解することです。その意味で預言は神の言を預かって語ることですから、預言は聖書の御言を正しく説き明かす説教のことでもあります。

そんなこと言っていないで、あなたも牧師なのだから、この正月に何か将来を予告する預言の一つでも言えないのかと問われれば言えることもあります。それは主イエスを信じる者は全ての罪を赦され救われて永遠の命を得るということです。また父と母を敬う者は長生きするということです。

これらは聖書に書かれていることですので確実な預言です。そしてこれらのことを宣べ伝えることの方が、菅内閣がいつまで続くとか良く分からないことを言い当てるよりも、「全体の益となるため」という聖書の目的からみて大切な預言です。

3、教師
第三は教師です。教師は信仰と生活について導く人です。これまでの使徒、預言者、教師は主に御言を解き明かす説教が中心となる働きです。
ホーリネス教団の牧師は全員教師であると教団の教規で定められています。初めに「教師の5者」の話をしましたがこれは教師に限らずに、クリスチャンにも必要な資質です。クリスチャンは学者の様に聖書を学びます。そして易者は聖書の御言を預かって語る預言者です。これらの5者も賜物の働きかも知れませんが、いつも意識していることも大切です。

4、奇跡と癒し
この後は教会共同訳では「~の者」と訳していますが、原語では賜物を持つ者ではなくて、新改訳が訳している様に、賜物そのものとして書かれています。つまり次は奇跡の行いで、その次は癒しの賜物です。奇跡の行いと癒しの賜物は聖書にも書かれていますし実際にあることです。

クリスチャンは教師の5者の医者の様に、隣り人の健康状態を診ます。そして奇跡の行いと癒しを求めて祈ります。しかし奇跡の行いと癒しは霊の働きですから、どの様に導かれるかは神が決められることであって、人が自分の力でコントロールすることではありません。

ですから自分の力を過信することなく謙虚な思いで祈ります。この二つの賜物も全体の益となる目的のために使われるものであって、個人が自分の賜物を誇るためのものではありません。

5、援助と管理
次は援助と管理です。援助は貧しい人や弱い人を助ける働きで、この働きを担うのは執事だったと思われます。管理は生活や行いなどを導く役割で、担うのは監督や長老だったと思われます。
クリスチャンは教師の5者の役者、芸者の様に、隣り人に寄り添って援助と管理を行います。

この二つは他の賜物の働きと比べて地味な働きですが、聖霊の働きとして忠実に行う大切なものです。しかし8~10節の賜物のリストにも今日の29、30節にも入っていないのは、コリント教会が求めていた目立つ派手な賜物ではないからかも知れません。

6、異言
そして最後はコリント教会が求めていた異言、そして異言の解き明かしです。異言は解き明かす人がいなければ意味も分からないものですから、全体の益となる目的から考えると、どうしても最後にならざるを得ません。

しかし14:18でパウロは誰よりも多くの異言が語れると言い、14:5ではパウロはあなたがた皆に異言を語ってほしいと思うとも言っていますので、決して賜物として低いものではありません。

7、もっと大きな賜物と最も優れた道
これらの働き人は、どれも神がご自身のために賜物を与えられて教会の中に立てられた大切なものです。それは29~30で7つも質問している様に、皆にこれらの賜物が与えられていて出来ることではありません。しかし逆にもっと大きな賜物は熱心に求めれば与えられるものです。

それは一昨日の13:1~3にあった様に、愛です。そしてどんな賜物も愛がなければ無に等しく、何の益もないものです。これは本当に私たちにとって良き知らせ、福音ではないでしょうか。「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」と言われます。

これは子どもの頃は優秀と思われていた人も、成長すると特に目立った賜物もなく平凡な人になることが多いことの意味です。自分にはこれといった賜物が無いと思っていても、特別な賜物より、もっと大きな賜物である愛は熱心に求めれば与えられるという約束です。

ではその大きな賜物である愛を頂くと、どの様なことが出来る様になるのでしょうか。教会に立てられた働きとして9つの働きがあります。そして7つについては、「皆が~でしょうか」と言っていますので特別な賜物が無いと出来ません。

しかし残りの2つの働きは特別な賜物が無くても、もっと大きな賜物である愛があれば出来るということです。それは何でしょうか。援助と管理です。具体的にどのような働きかは人それぞれで異なるでしょうが、教会のため、教会の人のために祈ることから始まることでしょう。

それは体で言うと、22~24節に書かれていた内臓の様な働きかも知れません。それは隠れていて、とても地味ですが、体が寝ている時にも休まずに働く様な忠実さが求められるものです。内臓が無いと生きて行けないぞうという大切なものです。

私も自分の生き方を改めて考えさせられ、教えられた気がします。皆さん、大胆にもっと大きな賜物をくださいと神にお願いしてみませんか。そこには最も優れた道が待っています。

8、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。あなたはご自身のために教会の中で、霊の働きによるいろいろな人をお立てになります。しかしあなたはもっと大きな賜物である愛を熱心に求めなさいと言われます。

そしてそれが最も優れた道であると言われます。私たちはあなたの恵みにより、主イエスの十字架により救われる者です。恵みに与かる私たちを、どうぞあなたの御用のためにお用いください。あなたに信頼し、お委ね致しますので最も優れた道へとお導きください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。