秩序
野田 栄美牧師夫人
自然の中には、多くの秩序が存在しています。ニュートンが発見した万有引力の法則、弱肉強食の生態系、循環する水の流れ、私たち自身が気付かなくても、自然の中の秩序に囲まれて私たちは存在しています。
神はこの世界の全ての秩序の創造主です。私たちのようにそれらに縛られるお方ではありません。けれども、イエス様は、人としてその秩序の中へ降りて来て下さいました。
イスラエルの北の異邦人の地ティルス・シドンでは、カナンの女に、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」とおっしゃり、まず、イスラエルの民の救いのために置かれている自分の立場を明らかにしておられます。
私たちはそれぞれ、置かれた場所があります。世界に196ヵ国ある中で、日本に生まれました。そして、その日本では人口の僅か1%未満がクリスチャンであるという現状の中で、礼拝に集っています。また、数ある教会の中で、茂原教会に足を運んでいる。大きな神様の手の中で、一人一人がこの場所に置かれています。
ガラテヤ6:10には、「だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。」とあります。ここにも、神様の愛の秩序が現れています。
聖書の中で滅びていった国は、神を自分
の支配者であることを認めませんでした。神のおられるべき場所に、自分自身を置いてしまったのです。それは、神様が創造されたこの世界の秩序を汚してしまうものでした。
その最たるものが内輪揉めで滅びていった国ではないでしょうか。国そのものである自国民を、大切にすること忘れてしまった結果です。
日本人は、謙虚な国民です。けれども、それは、自分を卑下することが素晴らしいことだという文化に置き換えられていないでしょうか。また、自分の家族を誇らず謙虚になるのではなく、家族を卑下することはないでしょうか。親しい関係の家族なら、多少何を言っても許してもらえるというような甘えも、その背後にあります。私自身がそうだからです。
けれども、それらのことを神様は悲しい目で見ておられるのではないでしょうか。 「あなたは、わが目に尊く」と言って下さる神様は、私たちを大切にしておられます。いつでもご自分の独り子をお与えになるほど、私たちを愛おしく思って下さっています。
私たち茂原教会は、神様の思いを大切にしたい。私たち茂原教会を卑下するのではなく、大切な家族として、まず教会内でお互いに善を行っていきましょう。神様の目を持って相手を大切にしましょう。それこそが、神様の愛の秩序にある教会の姿だからです。
2018年8月