3つのなぞ
野田 栄美牧師夫人
いつが いちばん だいじなときなんだろう?
だれが いちばん だいじな人なんだろう?
なにをすることが いちばん だいじなんだろう?
これは、「3つのなぞ」という絵本に出てくるなぞです。皆さんは、どのように答えるでしょうか。主人公ニコライは、いい人間になるためにこのなぞを一生懸命考えます。
人は、大きな力を持ちたいという思いを持っています。立派な仕事をしたい、多くの人の役に立ちたい、たくさんの人に褒められたい。
主イエスもその欲望と向き合いました。「悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて、言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』」。(マタイ4:8、9)
もちろん、主イエスは、欲望に屈しませんでした。けれども、これが普通の人であったなら、断ることができたでしょうか。
マザーテレサの著書にとても悲しいことが書いてありました。飢餓についての大きな会議に出席しようと向かった時のことです。遅れて会場に着くと、その扉のすぐ前に死にかかっている一人の男の人を見つけました。マザーテレサは、家へその人を運び、その人はそこで亡くなりました。原因は飢えでした。わたしたちは大義名分を持って、とても残酷なことをしてしまうことがあります。
小説ハリーポッターでも、大きな善のためには、多少の犠牲は仕方がないと、悪者は人の命を奪います。大きなことへの欲望は、人を大切にするという倫理をあっという間に飛び越えてしまいます。
「3つのなぞ」では、年老いたカメが、ニコライに答えを与えてくれます。「いちばんたいせつなときは、今。いちばんだいじな人は、そばにいる人。いちばんだいじなことは、そばにいる人のために、してあげること」と。
これは、くり返し、主イエスがわたしたちに教えたことと同じです。主イエスは「あなたがたによく言っておく、わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)とおっしゃいました。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マルコ12:31)とも、おっしゃいました。同じことが何度も主イエスの口から語られています。
子育て中の母親や親を介護する人たちは、社会から切り離され、ひどい寂しさに襲われます。他にも孤独になる時はたくさんあるでしょう。けれども、人に評価されないその毎日の中にこそ、主イエスは共におられます。 今、この時、あなたの一番そばにいる人を助けて下さい。小さなことにこそ忠実であることを、主イエスは喜んでくださいます。 それがいちばんだいじな生き方です。
2019年8月号