用意されたもの

野田 栄美

 去年の夏のお休みに、ずっと挑戦したかったことをしました。それは、ビオラの種まきです。ビオラは、秋から春にかけてずっと花を咲かせるスミレ科の可愛い花です。

 種まきは、夏真っ盛りにしなければなりません。涼しい所で水分を切らさないように管理しますが、元々、三日坊主の私です。失敗覚悟で挑戦しました。

 ところで、年度替わりの3月、4月はとても忙しくなります。目に見える予定と、目に見えない作業が幾つも重なって、表面を片付けると、その下にまた作業がびっしり。これが何層あるのかと焦るばかりでした。

 そんなときに、ビオラがたくさんの花を付けるようになりました。蒔いた種の数に比べれば、生き残りは少なかったですが、色がとても美しいことが分かりました。

忙しさの中にいる私のために、神が予めこのビオラを用意してくださったのだと思いながら、美しい花を愛でています。

 今年度の聖句は、イザヤ41:10「恐れるな、私があなたと共にいる。」です。神と共にいるとは、どんな生活なのか少し思い巡らしてみてください。それは、私を慰めてくれたビオラのように、神が用意してくださったものの中で過ごす生活です。

制服のことでも、ちょっとしたできごとがありました。長男が高校に入学した時に制服を作りました。けれども、体調を崩して通信制の高校へ編入したため、その制服は必要なくなってしまいました。しかし、不思議なことに次男も三男もその制服が使える高校に進学しました。1つの制服が3人分になりました。神さまからのサプライズです。

息子が体調を崩したのは辛いことでしたが、神が共にいてくださるとき、喜ぶことができる心が与えられます。全てが順調では得られないものが、用意されています。

こんなこともありました。先日、私の姪がコロナに感染しました。その後、その両親そして、祖母が罹りました。今は回復しましたが、大変だからこそ家族が助け合っていて、温かいものを感じました。

神と共にいる生活は、どんなことがあっても、そこで終わることがない人生です。たとえ死を通されても新たな始まりが待っています。未来の私たちに、神がなんとおっしゃるかご存じですか。「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。(黙示録22:17)」この命の水は、言い方を変えれば、不老不死の水です。多くの人たちが夢にまで見て、探し続けたものです。

神が最後に用意してくださるものが、果てしない価値を持つものだと、知った今、恐いものなどありませんね。