「聖霊について」

2021年10月17日説教 
コリントの信徒への手紙一 12章1~11節 佐藤仁美師

Ⅰコリントの十二章一~十節には聖霊による「賜物」が種々記されています。天地創造の時、原語では「父なる神」「子なるキリスト」「聖霊なる神」が働かれて創造の御業が完成した。この「聖霊」はキリスト教独自のすばらしい教理です。旧約聖書では聖霊は、祭司・主・預言者・特別な細工人を通してのみ働かれました。新約時代ではキリストの十字架の贖いの御業がなされ、昇天した後、ペンテコステに聖霊は降臨され、信じる人々に傾注されました。

私のライフワークの「新生」「聖化」にお導きする働きのうち「聖化」について語らせていただきます。これは神さまの御旨(Ⅰペテロ一:十六)であり、霊と心と体をきよめてくださる(Ⅰテサロニケ五:二三)との約束が与えられている。聖化は第一は「キリスト者の完全」であって絶えず愛によっているか、信仰によっているか動機が探られます。第二は「内住のキリスト」でキリストの霊が内に住んでくださる。第三は血潮をさらに必要とする存在となります。

罪の問題では新生は多くの罪、聖化では肉なるもの、古き人、自我に現わされて、単数形で頑固な存在そのものを指しています。聖化は瞬間に受ける恵みであり、生涯かけて成長していくものである。

それを受けるためには
⑴神さまの側の条件「すべての人に注ごう」
⑵人間側の条件
①求める(ルカ十:九~十三)断食や徹夜して祈ることもありますが真剣に神さまに求める者に与えられる
②服従(使徒五:三二)神さまは御自分に従う人々にお与えになる

ⓐ悔改める(ローマ七:十六~二五)
ⓑ肉の働き(ガラテヤ五:十六~二六)
🄫自分の罪、ⓐⓑ🄫の告白(Ⅰヨハネ一:七~十)真実に十字架の主の御前にありのままに告白し、御子イエスの血のきよめを信じる
④献身―神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として新しく神さまに献げる
⑤信仰(ガラテヤ二六:一九~二〇)「私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に
生きておられるのです」。これが「内住のキリスト」であり聖化なのです。