「ベト・ペオルに面する谷で」

2022年5月8日説教  
申命記 4章44~49節

        

主の御名を賛美します。日本を含めて世界で起きる色々なニュースを見ていると、とても社会的な地位の高い人である首相や大統領等といった人たちでも、小学生でも分かるような愚かなことをすることがあります。そのような人たちは高学歴の人も多く、ニュース等でもなぜそのような愚かなことをするのかとコメントされたりします。そのようなことは昔から起こり続けていて、今も起こっていますが、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。御言を聴かせていただきましょう。

1、ベト・ペオルに面する谷

申命記はモーセの3つの説教と最後の言葉から成ります。少し中途半端な感じがしますが、今日の個所から律法を中心とする第二の説教に入って、28章の終わりまで続きます。そこで出だしとして、初めに、「さて、これから述べるのは、モーセがイスラエルの人々に示した律法である。」と言います。律法は、「教え」という意味で、新改訳では、「みおしえ」と訳しています。

「これらは、エジプトから出るときに、モーセがイスラエルの人々に語った定めと掟と法」です。律法を別の言い方で、定めと掟と法と言います。4章の初めからは掟と法と言っていて、それに定めが加わりましたが特に大きな違いは無いようです。定めは、「証」という意味があり、新改訳では、「さとし」と訳しています。これから語ることはあらゆる教えが含まれているということです。

モーセはエジプトを出た後に、律法をイスラエルに一度だけではなく語っています。一番初めは出エジプト記20章で、シナイ山で十戒を中心とした律法をモーセは神から授かってイスラエルに語りました。しかし今はその時のことを言っているのではありません。ではいつのことなのでしょうか。

その答えとして、「これは、ヨルダン川の向こう、ヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホンの地であったベト・ペオルに面する谷でのことであった。」 確かに3:29に、「こうして私たちは、ベト・ペオルの向かいの谷にとどまっていた。」とありました(地図3)。

モーセが、どこの場所でこの説教を語ったかは大切かも知れませんが、「ベト・ペオルに面する谷」は今日の説教題でもあり、繰り返してとても強調されています。「ベト・ペオルに面する谷」にはどのような意味があるのでしょうか。このことの経緯がこの後に書かれています。

「モーセとイスラエルの人々は、エジプトから出た後、この王を討ち破り、この地とバシャンの王オグの地を占領した。」 確かにイスラエルは、初めに2:24の小見出し通りにヘシュボンの王シホンを討ち破り、次に3:1の小見出しの通りにバシャンの王オグを討ち破り、オグ・シホン・コンビの地を占領しました。

「つまり、ヨルダン川の向こう、東側に住むアモリ人の二人の王の地を占領しました。」 「それは地理的には、アルノン川沿岸のアロエルからシホンすなわちヘルモンの山のまで、そして、ヨルダン川の対岸の東側のアラバ全域、ピスガ(ネボ山)の裾野にあるアラバの海(死海)にまで及ぶものでありました。」

2、ベト・ペオル

これまでの歴史的・地理的な経緯としては分かります。しかしそれが、これから律法を語る前書きとして、どのような意味があるのでしょうか。もう少し歴史を遡って見ましょう。イスラエルの先祖は罪を象徴するエジプトの地で苦しんでいて、神に助けを求めました。憐れみ深い神はエジプトに対して10の災い等の大いなる御業によってイスラエルを救い出されました。

そして神の民として生きるイスラエルには、その生き方を示す十戒を中心とした律法が与えられました。順調に来たイスラエルですが、神の約束されたカナンの地に12人の代表者を偵察に送りましたが神を信頼せずに従いませんでした。そこには一体何が起きたのでしょうか。

その時に20歳以上だった人たちは、ヨシュアとカレブを除いて皆は荒れ野で滅びました。そして今、再び約束の地に入るチャンスを与えられたイスラエルは、順調にオグ・シホン・コンビの地を占領して、ヨルダン川の東側の広大な地域を占領しました。

この時のイスラエルは、新しく信仰を持ったクリスチャンの姿に似ています。とても純粋に神を信頼して、神の祝福に多く与ります。人生の3つの坂の、「上り坂」で、何をしても順調で、「行け行けドンドン」です。しかし順調な時ほど、人は心に隙が出来易いものです。

上り坂の先にはベト・ペオルがあります。ベト・ペオルの「ベト」は「家」の意味で、「ペオル」はモアブの神の名前です。「ベト・ペオル」は「モアブの神の家」の意味です。民数記25章で、イスラエルがモアブの娘たちに招かれて淫らなことをして、モアブの神のペオルにひれ伏したために、イスラエルは疫病で二万四千人が死にました。

イスラエルにとってベト・ペオルは思い出したくもない嫌な記憶かも知れません。上り坂の先には、「まさか」という坂があります。旧約聖書の内容はその後のイスラエルの人々に伝えられていますので、有名な人たちはその内容を知っていたはずです。しかし内容は違っていても同じような失敗は繰り返し起こっています。

イスラエルの二代目の王になったダビデは、とても純粋な信仰を持っていました。まだ少年と呼ばれたダビデは、歴戦の戦士である巨人のゴリアトに対して、神に信頼して勝利しました。その後も神に祝福されたダビデは、やることなすこと、何をしても上手く行きました。

しかしそのようなダビデにも、ベト・ペオルがあります。サムエル記下11章で、ダビデはイスラエルの全軍を送り出しながら、自分はエルサレムにとどまり、夕暮れ時に寝床から起き上がりました。心に大きな隙が出来ているようです。バト・シェバと罪を犯し、更に夫のウリヤを殺す罪を犯しました。

ダビデは死期が近づいたときに、息子のソロモンに対して遺言として、列王記上2:3で、「モーセの律法に記されているとおりに、主の掟と戒め、法と定めを守りなさい。そうすれば、何をしても、どこに行っても成功するだろう。」と伝えました。ダビデ自身の体験に基づく教えです。

ソロモンは王になったときに主から願い事を尋ねられて、列王記上3:9で、「どうか、この僕に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください。」と答えて、神から知恵を与えられました。ソロモン王は神の祝福を受けて、支配地域を広げて、神殿を建設しました。

しかしソロモンにも、ベト・ペオルがあります。列王記上11:3は、「彼には多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいた。この女たちが彼の心を誤らせたのである。」と言います。知恵者と呼ばれたソロモン王ですが、この世的な知恵である政略結婚で経済的には発展しましたが、その中に崩壊の種が蒔かれていました。その結果、ソロモンの息子のレハブアムも曲がった方向に進んで王国は崩壊に向かいます。

3、それぞれのベト・ペオル

これらは聖書の中だけの話ではありません。私たちも多かれ少なかれ同じような道を歩みます。皆さんも、これまでの信仰の歩みを振り返っていただきたいと思います。初めに神を知って信じるときはどうでしょうか。とても純粋な信仰です。ダビデのように神を信頼してゴリアトのような大きな困難にも立ち向かって行きます。

ソロモンのように、主に願いを尋ねられるなら、知恵を求めるかも知れません。エジプトを脱出したイスラエルのように紅海の海底を歩いて渡り、このときのイスラエルのようにオグ・シホン・コンビの地を占領して支配地域を拡大して、「行け行けドンドン」です。

しかしすべての人にベト・ペオルがあります。問題はベト・ペオルに対して、どうような対応を取るかです。ベト・ペオルとは何でしょうか。ある人にとっては、聖書に書かれているように異性に対する誘惑かも知れません。しかしそれは必ずしも異性に対する誘惑に限ったものでもありません。

それは異性に限らずに偶像礼拝への誘惑です。使徒言行録5章には、アナニアとサフィラ夫妻が土地を売った代金を誤魔化して聖霊を欺いた罪で裁かれました。皆さんにとって、心を惹かれ抵抗し難いベト・ペオルの偶像礼拝は、一体どういうものでしょうか。

4、ベト・ペオルに対して

教会等で何か責任のある立場に付くのは、クリスチャンになってからある程度の期間が経った人である場合が多くあります。クリスチャンになりたての人は純粋な信仰でそれは良いものです。多くの人は自分も初めの頃はとても純粋な信仰だったと思いますし、とても熱心でもあったとも思います。

しかし問題は、それぞれの人が自分のベト・ペオルの偶像に直面した時に、どのような対応を取るかです。多くの人はそこで失敗を犯します。そしてその失敗は、まさか、自分がこのような失敗を犯すとは思ってもいなかったようなことです。

エジプトを脱出したイスラエルはカナンの偵察隊の報告を聞いて、巨人の原住民を恐れて約束の地に行きませんでした。その子孫のイスラエルも順調に進んでいたのに、ベト・ペオルでモアブの娘の誘惑によって偶像礼拝に陥りました。そしてイスラエルの先祖の失敗の話を知っているダビデもバト・シェバと罪を犯しました。息子のソロモンも自分の知恵による外国人の女性との政略結婚で偶像礼拝に陥りました。

ベト・ペオルの偶像の誘惑に対して一番良いのは、その誘惑に陥らないことです。カナンの偵察隊の12人の内の2人のヨシュアとカレブは陥りませんでした。民数記25章のベト・ペオルの事件ではピネハスの熱情が疫病を止めました。

偶像の誘惑に陥ることは大きな痛みを伴う裁きをもたらします。約束の地に上るという神に命令に従わなかったイスラエルの20歳以上の人たちは荒れ野で滅びました。ベト・ペオルの事件では二万四千人が疫病で死にました。ダビデは長子と祝福を失いました。ソロモンは王国と祝福を失います。

多くの人は失敗を犯しますがそこで終わりではありません。憐れみ深い神は、罪を悔い改める者を赦してくださいます。罪を犯したダビデが、なぜユダヤ人に慕われるのか、私は理解するのに時間が掛かりました。しかし最近は少しは分かるような気がして来ました。

ダビデの罪とは種類が違っても誰でも罪を犯すものです。しかしその時に大切なことは、ダビデのように神に心から悔い改めることです。イスカリオテのユダのように自分の罪を自分で償おうとしたら解決はありません。

痛みを伴うことにはなるかも知れませんが、神は悔い改める者を必ず赦してくださいます。特に新約の時代である現代は主イエスが私たちの罪の身代わりとして十字架に付いて既に贖ってくださっています。私たちがすることは、心からの悔い改めと赦しに対する感謝です。鉄は精錬される必要があります。

5、律法を守る

この後の5章は十戒です。なぜモーセは再びここで十戒をイスラエルに対して語る必要があるのでしょうか。イスラエルの人々は十戒を既に知っていたはずですし、ここにお集まりの皆さんは私を含めて、十戒の内容をおそらくご存じだと思います。ダビデもソロモンも知っていたことでしょう。

では誰が十戒を守っているのでしょうか。イスラエルの人々は守れませんでしたし、ダビデもソロモンも守れませんでした。知識として知っていることと実際に守ることとは全く別次元の話です。しかし40節にありましたように、十戒を中心とする律法を守ることが、幸せになり、長く生きるための条件です。

聖書を読むとダビデもソロモンも人生の前半は割と順調な「上り坂」のようでしたが、25節にあったように、「年を取り、堕落してあらゆる形の彫像を造り」、「まさか」のベト・ペオルを通ってからは、「下り坂」の人生でした。私たちはそこから何を反面教師として学ぶことが出来るのでしょうか。

十戒は知らないよりは知っていた方が良いものです。しかし知識として知っているだけでは意味がありません。40節が言うように、守る必要があるものです。どうしたら律法を守ることができるのでしょうか。それはまずベト・ペオルに面する谷で律法を聞くことです。

ベト・ペオルとは自分が失敗した場所です。自分の失敗から目を逸らすのではなくて、自分の失敗と正面から向き合って、谷が象徴する低い所に下がって謙ることです。そしてそこで律法を聞きます。それは決してくよくよすることではなくて、ひと月前に茂原教会でデボーションのセミナーが行われましたが、出来ることなら、毎朝、ベト・ペオルに面する谷に下って御言を聞いて、神と交わります。

新約時代である現代は、神を信じる者には聖霊が働いてくださいますので、自分の努力で律法を守るのではなくて、聖霊の力によって律法を守る者へと変えられて行きます。そしてあなたもあなたの子孫も幸せになり、長く生きることができます。

これから十戒を中心とした律法を聴いて行きますが、日曜日だけではなく、毎日、主と交わり、聖書の言葉を聖霊の力によって律法を守る者として歩ませていただきましょう。

6、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。すべての人は幸せになり、長く生きることを望むものです。そのためには律法を守る必要がありますが、私たちはベト・ペオルでの誘惑に躓き易い弱いものです。しかしすべてをご存じであるあなたは、主イエスの十字架の贖いによって、悔い改める者の罪を赦されますから有難う御座います。私たちが、毎日、ベト・ペオルに面する谷で謙って律法を聴き、聖霊の導きに従って歩む者とさせてください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。