「強く、雄々しくあれ」
2026年6月14日礼拝式説教
ヨシュア記1章1~18節
主の御名を賛美します。
1、足の裏の踏む所
主の僕モーセは百二十歳で死に、イスラエルはモアブの平野で三十日間、喪に服しました(申命記34:7、8)。主はモーセの従者であったヌンの子ヨシュアに言われます。ヨシュアは出エジプト記17:8のアマレクとの戦いの時からモーセの従者ですので、荒れ野の40年間、モーセに仕えて来ました。ヨシュアの名前は、「主は救い」の意味でギリシャ語ですと、「イエス」になります。
主が人に何かを語られるときは、人がその言葉に従い易いように、命令と約束が交互に織り交ぜられます。主の命令は二つあり、その一つ目は、「さあ今、あなたとこの民は皆立ち上がり、このヨルダン川を渡りなさい」です。ただヨルダン川を渡るのではなく、「皆立ち上がり」という言葉に、信仰によって霊的に立ち上がる思いが込められています。
ヨルダン川を渡る命令に伴う約束は、その先には、主がイスラエルの人々に与える地があり、あなたがたの足の裏が踏む所をことごとく与えるものです。主が与えてくださるのですが、そのためには主の命令に従って、そこに自分の足を運んで、自分の足の裏で踏む必要があります。その範囲は、荒れ野からレバノン山、大河ユーフラテスに至るまで、さらにヘト人のすべての地と、太陽の沈む大海に至るまでです。
2、強く、雄々しくあれ
次はとても大切な命令であるので、その前に先立つ三つの約束から始まります。一つ目は、「あなたの命の続くかぎり、誰一人あなたの前に立ちはだかる者はいない」です。要は無敵ということです。素晴らしい祝福の約束です。
二つ目は、「私(主)がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる」です。これは一つ目の約束の理由でもあります。全知全能の主が共にいてくださること(インマヌエル)は大切な祝福の基ですので、この後も二回出て来ます(9節c、17節b)。更に三つ目は、「あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない」です。これでもかという位に祝福の約束が続きます。
前もって三つの約束をされた後に、主は最大の命令をされますが、それは大切なことですので三度言われます(6、7、9節)。それは説教題でもあります、「強く、雄々しくあれ」です。「強く、雄々しくある」とは具体的にどのようなことを意味するのでしょうか。
「強く、雄々しくある」とは、何かぼんやりと勇敢であることをイメージしがちです。「強く、雄々しくある」ことについて主は三つのことを語られ、三度、言われる毎に、それぞれに命令と約束をされます。
一度目の命令は、「私がこの民の先祖に誓い、今この民に与える地を、彼らに受け継がせる」ことです。その約束は、そのために、主があなたを選ばれたということです。「強く、雄々しくある」とは、第一に、イスラエルの人々に、主が与える地を受け継がせることであり、そのために主がヨシュアを選ばれました。
二度目の命令は、一番大切な内容ですので、同じ内容に同じ約束を付けて平行法で繰り返します。一回目の命令は、「私の僕モーセがあなたに命じた律法をすべて守り行い、そこから右にも左にもそれてはならない」(7節b)です。二回目の命令は、「この律法の書を口から離さず、昼も夜もこれを唱え、書かれているすべてのことを守り行いなさい」(8節a)です。
律法を文章の知識として覚えることも大切ですが、新約時代に生きる私たちには、聖霊の働きによって、「私(主)は、私(主)の律法を彼らの思いに授け彼らの心に書き記す」(ヘブライ8:10)と約束してくださっており、更に律法を行う力を与え導いてくださいますから感謝なことです。
律法を守り行うことに伴う一回目の約束は、「そうすれば、あなたはどこに行っても成功を収める」(7節c)、二回目の約束は、「そうすれば、あなたは行く先々で栄え、成功を収める」(8節b)で、成功間違い無しです。「強く、雄々しくある」とは、第二に、律法を守り行い成功を収めることです。
三度目の命令は、「強く、雄々しくあれ」の命令から私たちが一番イメージし易い内容です。それは、「うろたえてはならない。おののいてはならない」です。それに伴う約束は理由とも言えます。それは、「あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいる(インマヌエル)からだ」です。
「強く、雄々しくある」とは、第一に、主が与えられる地、これは現代においては救いと言えますが、それを人々に受け継がせることです。そして第二に、律法を守り行い成功を収めることであり、第三に、うろたえず、おののかないことです。これらは自分の力ではなく、共におられる主(インマヌエル)がなしてくださることです。
これらの命令と約束は、直接的には主が与えられる約束の地を受け継ぐために、主がヨシュアに語られたものです。しかしクリスチャンは主が与えられると約束された天国を受け継ぐために進んで行くのですから同じ内容の命令と約束が語られています
3、ヨシュアの命令
主の約束と命令を聞いたヨシュアは早速、行動に移して二つのグループに命じます。一つ目は、役人たちに、「宿営の民に、あと三日で、ヨルダン川を渡り、主が与える地を所有するのだから、食料を準備するように言いなさい」と命じます。
日本語でも、「腹が減っては戦はできぬ」と言いますので、食料を準備することは大切です。特にイスラエルは荒れ野でお腹が空くと直ぐにつぶやいていました。
細かいことで気になりますのは、「あと三日で、ヨルダン川を渡り」とあることです。2章でヨシュアがエリコに送る二人の斥候はエリコに三日間とどまり(2:22)、その後、イスラエルはヨルダン川の手前で三日を過ごしていますので(3:2)、実際にヨルダン川を渡るのは1週間後位のことです。ただ現在いると思われるシティムからは三日後位に出発しますので(3:1)、三日で食料の準備をしなさいということのようです。
ヨシュアは二つ目に、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数に、主の僕モーセが命じた言葉を思い起こしなさいと言います。モーセは彼らに約束と命令を言いました。一つ目は約束で、「あなたがたの神、主はあなたがたのために安息を与え、この地をあなたがたに与える」です。
これは民数記32章で、イスラエルがヨルダン川の東側の地に来た時に、家畜を多く持っている彼らが土地を気に入り、所有地として希望したことによります。ずっと荒れ野での移動の生活をしていたイスラエルにとって、主が約束された定住の地が与えられることは、安息を与えられることです。
次に元は彼らから申し出たことですが、その内容をモーセは申命記3:18~20で命令として彼らに語りました。命令の一つ目は、「あなたがたの妻、子ども、家畜は、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら(東)側の地にとどまりなさい」です。
これから戦い征服をする地に、妻、子ども、家畜を連れて行くのは危険が伴いますし、足手まといになる可能性もありますので、とどまらせるのは分かります。しかし、妻、子ども、家畜を残して男は離れてしまうのは危険な感じがします。これは次の命令のところで合わせて考えます。
命令の二つ目は、「あなたがた、力ある勇士は皆、隊列を組み、同胞の先頭に立って川を渡り、彼らを助けなさい」です。一つ目の男が離れてしまう件ですが、イスラエルの先頭に立つ彼らの人数は約4万人です(4:12,13)。しかし民数記26章でこの2部族半の兵役に就くことのできる20歳以上の人数は合計約11万人です。
そうしますと、この3部族の兵役に就くことのできる20歳以上の男の約7万人はヨルダン川を渡らずに、東側で妻と子どもを守り、家畜の世話をしていたようです。これは現実的な対応であると思います。
彼らが同胞の先頭に立って彼らを助ける理由は、「主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるため」です。自分たちが安息と地を与えられたら、自分たちさえ良ければそれで良いのではなく、同胞が同じように安息と地を与えられるように助ける必要があります。
これは現代においてもまったく同じです。先に救われる者は永遠の命が与えられ、安息を得ます。しかし自分が安息を得たら自分だけ安住するのではなく、他の人も安息を得られるように、先頭に立って助ける必要があります。そうすることが先に救われる者の役割であり、そうすることによって本人も成長し祝福に繋がります。
ヨシュアは二つの命令の後に、もう一度約束を繰り返して、「その後、あなたがたはヨルダン川の東側へ帰り、主の僕モーセがあなたがたに与えた所有地を継ぐことができる」と確認します。これは約束を繰り返すことによってヨルダン川の東側を確かに与える確認の意味と、同時に西側の地は与えないという確認の意味もあるように思われます。
4、彼らの答え
ヨシュアの言葉に対して、彼らは主が選ばれたリーダーであるヨシュアの言葉を素直に受け止め、とても従順です。彼らの従順な言葉は短く言いますと、「何でも行います。どこへでも参ります。すべてあなたに聞き従います」です。主が自分の上に立てられる人にはこのような姿勢で臨みたいと願います。
同時に彼らはヨシュアへの願いごとを伝えます。一つ目は、「ただ、あなたの神、主が、モーセと共におられたように、あなたと共におられますように」です。主が自分のリーダーと共におられるなら自分もその祝福に与ることができます。そうでなければ自分も祝福に与れませんので大切なことです。
二つ目は願いごとよりも事実として、「あなたの命令に逆らい、あなたが命じる言葉に聞き従わない者はすべて死ななければなりません」です。この言葉は恐らくは一般論として言われたものだと思いますが、これは歴史的な背景のあることでもあります。
この時から38年前に、12人の斥候がカナンに遣わされ、ヨシュアとカレブはそこは良い地であり、主が命じられているようにカナンに上って行くようにと言いましたが、イスラエルは従いませんでした。そのためにイスラエルは荒れ野を彷徨うこととなり、ヨシュアとカレブの報告に聞き従わない者は事実、すべて荒れ野で死にました。
三つ目は、主がヨシュアに語られたように、「あなたはただ、強く、雄々しくあってください」と願います。人々にとってリーダーが強く、雄々しくあることが自分たちの祝福になるからです。
主が共におられる(インマヌエル)の約束は、新約(現代)では、十字架によって私たちを贖われた主イエスを信じる者と共におられる聖霊によって実現しています。そしてその者には、「強く、雄々しくあれ」と命じられます。
それは、第一に、主が与えられる救いを人々に受け継がせること、第二に、律法を守り行い成功を収めること、第三に、うろたえず、おののかないことです。私たちと共にいてくださる聖霊によって、強く、雄々しく歩ませていただきましょう。
5、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。ヨシュアは主に、「強く、雄々しくあれ」と命じられ、そのためには主が共にいてくださると約束されました。私たちも主イエスを信じて、共にいてくださる主によって、強く、雄々しく、主の御心に従って歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
