「ラハブの信仰」 

2026年6月21日礼拝式説教
ヨシュア記 2章1~24節
        
主の御名を賛美します。

1、ラハブ
ヌンの子ヨシュアは、二人の男に「エリコに行き、その地を探りなさい」と命じ、斥候としてひそかにシティムから送り出します。シティムからエリコはヨルダン川を挟んで約20kmです。ヨシュア自身が38年前に斥候として送り出されました。前回、斥候は12人でしたが、今回は二人だけです。

それは、前回は初めてのカナンの地全体の偵察でしたが、今回はエリコだけです。また今回は、ひそかな任務であり、イスラエルの人たちにも知らせていないと思われ、人目につかないように少人数にしたようです。ただ証人は二人または三人によるという律法がありますので(申命記19:15)、最小限の二人にしたと思われます。

この二人がどの部族の者かは正確には分かりませんが、恐らくルベン族とガド族と思われます。斥候は命懸けの危険な仕事ですが、1:16、17で彼らはヨシュアに、「命じることは何でも行います。遣わされる所はどこへでも参ります。すべてあなたに聞き従います」と言った後に続いているからです。

二人は行って、ラハブという名前の遊女の家に入り、そこに泊まります。信仰を持つ真面目な人は、なぜわざわざ遊女の家に行くのかと思うことでしょう。大きく四つの理由が考えられます。一つ目は、遊女の家は不特定多数の人の出入りがあり、人ごみにまみれて、怪しまれずに済むからです。

二つ目は、不特定多数の人の出入りがあることから、色々な情報を集めるのに便利だからです。三つ目は、家が城壁の壁面にあるので、いざという時に逃げ易いためです。四つ目は、何よりも主がそのように導かれたのだと思われます。

しかし斥候に気付いてエリコの王に告げる者がいます。ヨルダン川を挟んで約20kmの所に少なくとも二百万人はいると思われるイスラエル人が来ていますので、エリコは当然、そのことに気付いており警戒感マックスです。エリコの王はラハブのもとに人を遣わし、「お前のところに来て、家に入り込んだ男たちを引き渡せ。その者たちはこの地のすべてを探るために来たのだ」と命じます。

ここからはラハブ(広い、の意)の名前は出ないで女という言い方になります。これは単なる代名詞であるのか、それともこれはラハブ個人だけではなく、読者に女の代表として受け止めて欲しいというような意図があるのかは分かりません。

女は二人をかくまい、三つのことを言います。一つ目は、「確かに、その人たちは私のところに来ました」という事実と、しかし、「どこから来たのかは知りません」と聞かれてもいないことを答えます。これは余り関わりを持たなかったということを間接的に伝える知恵でしょうか。しかし後を読みますと、本当はどこから来たのかを知っていますので、この答えの後半は事実ではありません。

二つ目は、「暗くなって城門が閉まる頃、あの人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのかは知りません」とここにはいないことを伝えますが、これも事実ではありません。三つ目は、「急いで後を追えば、追いつけるでしょう」と嘘をつきます。

人々が二人を追いかけ出て行くと城門は閉じられます。これが外部の更なる侵入者を防ぐためと、もしも二人が城門の中にいるなら逃走を防ぐためです。女は王の遣いを手玉に取り、したたかです。皆さんはラハブに対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。

私は正直なところ、今回の説教の準備をする前は余り良いイメージを持っていませんでした。一つは遊女であること。職業を差別する気はありませんが、罪と関わる職業は別です。勿論、ラハブなりの色々な事情があったのかも知れません。またどのような理由にせよ、同胞に対して嘘をついて騙すことに良い印象を持てませんでした。

2、ラハブの信仰
屋上に隠した二人が寝てしまう前に、女は屋上へ上り、二人に言います。聖書で垂直方向に上る時は、信仰的に上ることが多く書かれています。1:2の「立ち上がり」や、神と向き合うために山に上る等です。

女は五つのことを言いますが、一つ目は、「主があなたがたにこの土地を与えられたことを知っています」と主に対する信仰を告白します。二つ目は、「そのため、私たちが恐怖に襲われ、この地の住民たちもあなたがたの前に恐れおののいていることを知っています」と住民の恐れを伝えます。女は4、5節では、「知りません」と二度言いましたが、ここでは本当に知っていることを二つ告白します。

三つ目は、その理由と言えます。「あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたの前で葦の海の水を干上がらせたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたアモリ人の二人の王、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私たちは聞いています」と二つの歴史的事実を述べます。

この歴史的事実は女だけではなく多くの人が聞いているはずです。しかし女はそこから一つ目の、主がこの土地を与えられたことを知りました。女は歴史的事実の意味を正しく悟り、正しく知りました。現代の私たちは聖書によって多くの歴史的事実を聞くことができます。そこからその意味を正しく悟り、知ることが大切です。

9~11節は10節を中心とする中心構造です。四つ目の11節aは二つ目の9節後半の住民の恐れの対称の内容、11節bは9節前半の対称の内容として、「あなたがたの神、主こそ、上は天、下は地において神であられるからです」と立派な信仰告白をします。異邦人の女が唯一の神を正しく知り、信じていることは驚くべきことです。

女は次に願いごとを三つ二人に伝えます。一つ目は、「私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたも、私の家族に誠意を尽くすと、今、主の前で誓ってください」と誓いを求めます。助けたのですからギブアンドテイクで、助けてくださいということです。

二つ目は、「そして、確かなしるしをください」と誠意を尽くすことの確証を求めます。三つ目は、「私の父、母、兄弟、姉妹、そして彼らに連なるすべての者を生かし、私たちの命を死から救ってください」と家族の救いを求めます。兄弟、姉妹は両方とも複数形ですので女は多くの兄弟姉妹がいるようです。

もしかすると女は家族の生活のために遊女にならざるを得なかったのかも知れません。女は一つ目と三つ目で、何としてでも家族を救って欲しいと家族の救いを強く求める家族思いの人です。そのことに気付いた時に、私の中でもこの女に対する印象が変わりました。二人は女の願いごとの一つ目に応えて、我々の命を懸けて、あなたがたに慈しみとまことを示そうと誓います。
3、しるし
女は二人を窓から綱でつり降ろします。家が城壁の壁面にありますので、城門は閉じられていますが外へ出られます。女は二人に、「追っ手に出会わないよう山の方へ行きなさい。追っ手が引き揚げるまで三日間はそこに隠れ、それから帰りなさい」とアドバイスをします。

それは、これまでも似たようなことが起きたときに女は観察をしていて、追っ手は大体。習慣的に三日間以内に諦めることを知っていたのでしょう。日頃から自分の身の回りに起こることを観察しておくことは大切です。二人は彼女に、「我々がこの地に攻め入るとき、この深紅のよりひもを、我々をつり降ろした窓に結び付けておきなさい」と願いごとの二つ目に応えて、しるしを与えます。

深紅のよりひもを結び付けておく家の者は救われることは、出エジプトの時の十番目の災いで、家の入り口の二本の柱と鴨居に小羊の血を塗った家は、滅ぼす者が過ぎ越され滅ぼされなかったことを思い起こさせます。また深紅のよりひもは将来的な主イエスの十字架の血を象徴するという考えもあります。

更に命令と条件を伝えます。命令は、「あなたの父、母、兄弟、家族全員を、あなたのいる家に集めておきなさい」です。そして条件の一つ目は、「もしあなたの家の戸口から外に出る者がいれば、その血は自分の頭の上に降りかかり、我々に責任はない」です。

家族が指定されたところに集まることによって救われることは、ノアの箱舟を思い起こさせます(創世記7章)。条件の二つ目は、「もしあなたと一緒に家にいる者に手が下されることがあれば、その血は我々の上に降りかかる」で、三つ目は、「もしあなたが我々のことを誰かに漏らすならば、あなたが我々に誓わせた誓いについて、我々に責任はない」です。

女は「お言葉どおりにしましょう」と言って、トランプ風に言いますと、ディールが成立します。そして二人を送り出し、彼らが立ち去ってから、深紅のひもを窓に結び付けます。彼らが立ち去って直ぐに、深紅のひもを結び付けますと怪しまれますので、恐らくは暫くしてから結び付けたと思われます。

聖書を読んでいて感じることは、命令、約束、条件等がこと細かく書かれていることです。流石に契約の民であると思います。ここではイスラエル人が風習の異なる異邦人である女と契約をしますのでこと細かく条件を決める必要があったと思われます。

日本人等からしますと、そこまでいちいち細かいことを言わなくても良いのではと感じるかも知れません。しかし細かいことを話しておかないと、お互いの思い込みがあったりして、後になって面倒なことになることもあります。

前もって話しておけば、こんな面倒なことになることはなかったというようなこともあります。クリスチャンは聖書に倣って、必要と思われる場合には細かいことも話しておくことは大切であると思います。

立ち去った二人は女の指示に従い、山に入り、三日間とどまり、ヨシュアのもとに戻ります。そして「主はあの地をことごとく私たちの手に渡されました。今やあの地の住民は皆、私たちの前に恐れおののいています」と大切な報告をします。この報告に基づいて、6章の占領に続いて行きます。

4、ラハブの嘘
この2章はとても複雑な問題を抱えています。ヤコブ2:24、25はラハブの行いを高く評価します。しかし問題が無い訳ではありません。それはラハブが4、5節で嘘をついていることです。これは十戒の第九戒の「隣人について偽りの証言をしてはならない」に明らかに反することです。

神学者のカルヴァンはこのラハブの嘘は間違いであり、神はよしとはされないと断言します。このことについて三つの立場から考えてみたいと思います。一つ目は、斥候の二人です。ラハブの嘘が無ければ二人の命は危険な状況でした。王の遣いに捕らわれたら、どうなったかは分かりません。

二つ目に、二人の斥候を送り出したヨシュアです。そもそもヨシュアが二人の斥候をエリコに送り出したことは正しかったのでしょうか。主はヨシュアにそのことを命じてはいませんし、ヨシュアは主にそのことを尋ねてもいません。ただこの当時、敵に攻め入る前に斥候を送ることは普通ではあったようです。そして主がそのことでヨシュアを咎めることもされていません。

主はイスラエルに土地を与えると何度も約束をされています。そうしますと、例えラハブの嘘が無かったとしても土地の取得の計画は進んで行くとも考えられます。しかし、ラハブの嘘は全能の主の予知の中で、計画に含まれているとも考えられます。

三つ目に、ラハブです。ラハブは真の神を信じ、家族を救うために嘘をつきました。ラハブはもし嘘が明らかになれば命を失うでしょうから、自分の命を懸けた必死の行いです。またもしもこの時にラハブが嘘をつかなかったら、イスラエルが6章でエリコを占領する時に、ラハブは家族と共に聖絶されます。ラハブは命懸けの嘘により、自分と家族を救うことになります。

嘘をつくことは良くないことです。しかし最も重要な戒めを問われた主イエスは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)、第二は、「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ記19:18)と答えられました。ラハブは真の神を畏れ敬い、家族を愛し救うために、自分の命を顧みず行動しました。そのようなラハブは神に受け入れられました。

ラハブはこれまでの発言や行動を見てもとても聡明な感じがします。ラハブはこの後に結婚をし、男の子を生みます。男の子の名前はボアズです(マタイ1:5)。ボアズはルツ記でルツを贖って妻にする立派な人物です。ラハブはボアズを生み、育てたことを思いますとラハブの好感度アップです。またラハブはダビデ王の祖父オベデの祖母となり主イエスの先祖になります。

神は例えどのような状況にある人であっても、神を信じて、救いを求める人を救ってくださいます。神を信じるラハブの罪は、約1300年後に十字架につかれる主イエスによって赦されます。神を信じて救いに与らせていただきましょう。また既に救われている人は他の人の救いに用いていただきましょう。

5、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。ラハブは異邦人であるにも関わらず、歴史的な事実から真の神を悟り、家族共々の救いを求め叶えられることになります。私たちは聖書を通して多くの事実を知らされています。聖霊の働きによって真の神を悟り、信じて、救いに与からせてください。また主の御心を行う者としてお用いください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。