「霊と力の証明」

2026年8月16日礼拝式説教 
コリントの信徒への手紙第一 2章1~16節  勝田台キリスト教会 竹田広志牧師

聖書協会共同訳見出し 「十字架につけられたキリストを告げ知らせる」

アテネでのパウロの宣教の様子が、使徒言行録17章に記されており、「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った」とあります。「そちらに行ったとき」(:3)と、パウロがアテネからコリントに行った時の心情を語っています。「私は衰弱していて、恐れに捕らわれ、ひどく不安でした」(:3)。どんな迫害にも心折れないパウロに、アテネで何があったのでしょうか。

使徒言行録17章16~31節に、アテネにおいてギリシア哲学者達と広場で討論したことが記されています。自然哲学をモチーフとした機知に富んだ素晴らしいメッセージをパウロは語っています。しかし、このメッセージには福音の最も大事なものが欠落しています。それは十字架です。彼のアテネでの宣教の実りはわずかでした。それ故、パウロは決意します。優れた言葉、知恵を用いず、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」。

「主の救い」は、人の知恵、雄弁な言葉によって説得され、理解して与えられるものではありません。愚かに十字架を語り、イエスの恵みを信じることです。神は、自分の罪を認め、「私の罪の(贖い)赦しの為に、イエスは私の為に、十字架で命を捨てて下さった」と信じる者を救うことにされたからです。これが「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったこと」であり、「神がご自分を愛する者たちに準備された」(:9)救いの約束・契約(新約)なのです。イエスを信じる者に、神は事実、「罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命」を与えて下さいます。 

私はどのようにして救われたのかを知りません。しかし、確かに神によって救っていただいたことを知っています。それは「私たちは。キリストの思いを抱いて」いるからです。救いを受けた私たちは、新しい心、新しい生き方を持っています。それが、神の救い、「霊と力の証明」です。